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ルーブル美術館の至宝「モナ・リザ」

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目次

絶対にハズせない作品の真髄?!に触れるともっと絵画が面白くなります!

万能の才能を発揮 ルネッサンス3大巨匠のひとりレオナルド・ダ・ヴィンチ

イタリア、フィレンツェより西に45km。Vinciヴィンチ村。Vinci(ヴィンチ)という名はイグサ(Vinchi)に由来する。後にイグサの組み合わせ模様はレオナルドの紋章となり“モナリザ”などの作品にも描かれることとなる。

レオナルド・ダ・ヴィンチはヴィンチ村から3kmほど離れた片田舎アンキアーノで1452年4月15日誕生した。
10代まで過ごした生家は一見してどっしりとした石造りの母屋と納屋からなる150平米ほどの素朴な平屋。父は有能な公証人ではあったが母親は農夫の娘で身分が低く、籍を入れることができずレオナルドは私生児としてこの地に誕生する。
ここで彼は蒼く澄みきった大空を背にトスカーナの黄金色の大地を駈けずりまわり10代の多感な少年期を屈託なく過ごしてきた、はずだ。

20歳のフィレンツェへの旅立ちの日
雪の聖母マリアの日に彼は故郷の鳥瞰図をできるだけ精巧に心を込めて描いたに違いない。

修行時代からすでに師を凌駕する腕前を見せ完璧な空気遠近法を駆使した絵画の背景には自然に対するレオナルドの汎神論的思想が反映されている。 ルネッサンス期においてあらゆる自然現象を飽くなき情熱をもって探求し続けたひと。そんな彼がフランソワ1世にロワールの地に呼び寄せられ亡くなるまで片時も手放さなかった一枚の絵画。それが「モナ・リザ」である。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ
絵画のみならず科学、音楽、数学、医学解剖学、土木建築学、武器の技術開発に
至るまで万能の才能を発揮した天才

謎めく微笑み

【ラ・ジョコンダ】
仏、伊ではご存知「モナ・リザ」のことをこう呼ぶ。レオナルド・ダ・ヴィンチがフランソワ一世に招聘されフランス・ロワールに赴き、生涯を終えるまでひとときも手離すことのなかった絵の一枚である。

あの謎めいた永遠の微笑みの実体は・・?!モデルは一体何者なのか、500年もの間ずっと論争されているのは周知の事実である。フィレンツェ メディチ家のロレンツォの弟、暗殺されたジュリアーノの愛人という説をはじめ、母親以外に唯一恋心を寄せていた(?)マントヴァ公国の女傑イザベラ・デステ、はたまたレオナルド本人の自画像とまで言われていたがやはり最終的には(ほぼ定説となりつつあった)フィレンツェの裕福な絹織物商の2人目の妻、リザ・ゲラルディーニという女性、で一件落着となる。

フィレンツェのとある教会で彼女のファミリーネームでの『63歳永眠』の死亡証明書が十数年ほど前に発見されたそうである。16歳で再婚相手に嫁ぎ 5人の子供をもうけるリザ。そしてあの「モナ・リザ」は彼女が24歳のときその5人のうちのひとりの子を病気で失くして喪服姿で悲しみに耽っている、まさに文字通り喪に服しているそんな状況らしい。
・・が、観ている人間にはそうは見えない。24歳にして現世の全てをも悟りきったといわんばかりの意味ありげな微笑み。子を失ったというのに、動じないおじけつかない風格。しかしこの微笑みにはなぜか否定的な不謹慎さは見てとれないような気もする。

レオナルドは、やや軽度の斜視であった彼女の身体を椅子に座らせ、4分の3ほど斜めに構えさせることによってどの角度から鑑賞しても、あの魅惑的な瞳でググッと彼女に見つめられているような、そんな効果を生み出している。ただでさえ構想から実写までの1クールが長すぎるという遅筆な彼なのであったが4年もかけて描き続け、さらには死の直前まで筆をいれ、それでもなお、未完といわれている。
一見、つかみどころのなさそうな雰囲気のただひとりの平凡な主婦を前にしてそれでも彼はそれを、より完成度の高い精神性の高い被写体に仕上げるのに相当の苦労を要したように思う。

『イメージは画家の手に達する前にまず己自身の精神において長い懐胎期間を経なければならない。』
う~ん。この時代のひとってやっぱり難しい。(笑)
最期の最期まで彼自身を納得させうる、満足させうる作品になりきれなかったということか・・。それゆえにこの作品の偉大さと計り知れない価値が潜んでいるのかもしれない。

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モナ・リザ
その瞳はどこに向けられ一体何を見つめているのか?!
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モナ・リザ
モナ・リザの絵の前はいつも長蛇の列で大混雑!!
スマートフォン、カメラ撮影に夢中になっている隙にスリにご注意!!

世界の芸術作品の総本山といわれるルーブル美術館

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ルーブル美術館
17世紀の後半までルイ14世が自らの宮殿をベルサイユ宮殿に移すまでは歴代フランス王の王宮であった。

ルーブル美術館は、フランス、パリある世界最大級の美術館の一つです。その歴史は、1793年にフランス革命の中で王室のコレクションを一般に公開するために設立されたことに始まります。もともとは12世紀に街のはずれに建設された城塞でしたがのちに歴代フランス王の宮殿として体裁を整え、街の拡張とともにいつしかパリの街の中心に位置するようになりました。
その後19世紀にかけて増改築が繰り返され1874年に現在の構成になっています。さらにその後1983年に、当時のフランス大統領ミッテランが推進した「パリ大改造計画 」の一環である「大ルーヴル計画 」によって建物がさらに改築されるとともに、それまで宮殿内にあった財務省が別の場所に移転され宮殿全体が美術館として生まれ変わりました。

美術館内は約72,000平方メートルの広さがあり、所蔵作品は(常設展示されていないものも含め)約38万点を超え、毎年約1千万人以上の訪問者が訪れるそうです。そして館内の所蔵品すべて観尽くそうとするとなんと10年近くかかると言われています。
そんな美術館に一歩足を踏み入れた瞬間、あまりにも広大すぎて、お目当ての展示作品にどう辿り着けばよいのか?!!攻略法を見失ってしまってもツアー参加なら安心です!!専門の現地ライセンス日本語ガイドが絶対ハズせない作品はもちろん選りすぐりの名画、彫刻群など丁寧に効率よくご案内いたします。

皆様も写真でも画像でもない本物の生の「モナ・リザ」を目前に、そのミステリアスな微笑みが一体何を訴えているのか?!ぜひ実感していただきたいと思います!

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ルーブル美術館
美術館の中庭
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ルーブル美術館
セーヌ川の船上から美術館を臨む
この記事を書いた人
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山中 尚子
得意エリア
西ヨーロッパ(イタリア・スペイン他)
どんな旅にもちょっとしたハプニングはつきもの。一時のハプニングを想い出話に変えてしまうポジティブシンキングも旅の醍醐味です!いつもの日常空間から少し離れて、のんびりとゆったりした気持ちで一緒に非日常を楽しみましょう!
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