アムステルダム スポット 検索一覧 (2ページ目)
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アムステルダムのディフェンス・ライン(アムステルダムノディフェンスライン)
- アムステルダム
- 歴史的建造物
アムステルダムの市街を取り巻く防衛線の複数の要塞群で、1996年世界文化遺産登録。1883年から1920年にかけて建造された。市街の半径15~20kmを取り囲む全長135kmに及び、約45の要塞や水門等が立ち並ぶ。有事には水門を開くようになっており、こうすると堤防の外側3~10kmの水が入ってきて、敵の侵入を防ぐようになっている。水の深さについても計算されており、0.50~1mと決められていた。これは人が歩くには深過ぎ、船が進むには浅過ぎる水深である。しかし要塞線が完成した頃には航空兵器や戦車が主流となり、一度も使用されることなく、戦略的意味を失った。尚各要塞はアムステルダムを囲む一定距離に建造されたので、厳密に言うとアムステルダム市内や近郊にはない。現在は一般公開されている所もあれば、貸し切りイベントのみの場所など用途は施設により異なる。要塞は大抵は自然環境豊かな場所にあるので、オランダでは要塞ポイント間のウォーキングやサイクリング、濠での釣りや水泳、キャンプ場など春夏のレジャー用途での活用が多い。
オランダ劇場(オランダゲキジョウ)
- アムステルダム
- 博物館・科学館・資料館・記念館
1893年から1941年までは地元の娯楽を担う劇場だったが、ナチス占領下の1941年にユダヤ人専用の劇場となった。しかし1942年7月以降、娯楽施設としての機能は失われ、ユダヤ人を収容所に移送する際の一時集合場所に定められた。この劇場に集められたユダヤ人達はヴェステルボルク通過収容所などに移送され、やがてヴェステルボルクからアウシュヴィッツやベルゲン・ベルゼンなどの強制収容所へと移送され、ほとんどの人は生きてオランダに帰ることはなかった。現在は追悼記念館として当時の写真や遺品を展示している。
ポルトガル・シナゴーグ(ポルトガル シナゴーグ)
- アムステルダム
- 社寺・教会・宗教施設
中世の頃、スペインやポルトガルなど他国に住んでいたユダヤ人(セファラディム)たちは迫害を逃れるためオランダへ移住。制約の少ないオランダでユダヤ人達は大いに商才を発揮し、17世紀のオランダ黄金時代にはヨーロッパ最大かつ最も裕福なユダヤ人共同体となった。17世紀に建造された非常に壮大なポルトガル・シナゴーグは、当時のアムステルダムのユダヤ人共同体の繁栄を物語る。学術的観点からは、世界最古のユダヤ教の図書館(ライブラリー)があることで有名。現在も礼拝は行われている。旅行者はユダヤ歴史博物館のチケットで入場できる。
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