バチカン美術館のクライマックス ― 天才ミケランジェロが創造した小宇宙『システィーナ礼拝堂』

システィーナ礼拝堂のフレスコ画を説明するガイド
バチカン美術館の最深部にある礼拝堂
「システィーナ礼拝堂はどこにあるの?」「別途予約は必要?」と、お客様からよくご質問をいただきます。
実は、システィーナ礼拝堂はバチカン美術館の見学コースの最後にあり、別途予約をする必要はありません。 場所はバチカン市国内、ローマ教皇(イタリア語でPapa。パーパと発音します。パパだとお父さんになるのでご注意を!)の公邸であるバチカン宮殿内です。美術館を順路通りに進んだクライマックスが、この礼拝堂になっています。
ここで最初にお詫びを……。システィーナ礼拝堂の内部は写真・動画の撮影、および映像の掲載が一切禁止されています。 そのため、お見せできる写真が少ないことを予めご了承くださいね。

システィーナ礼拝堂(外観)(https://michelangelobuonarrotietornato.comより抜粋)
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オプショナルツアー(現地発着)JPY16,307〜大人1名~バチカン美術館入場確約&日本語公認ガイド案内
世界最大級のコレクションを誇るバチカン美術館とシスティーナ礼拝堂、カトリック教の総本山サン・ピエトロ大聖堂を訪れるツアー
システィーナ礼拝堂のはじまり
現在のシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)が建つ場所には、もともと「カッペラ・マッジョーレ(大礼拝堂)」という古い建物がありました。しかし、地盤沈下で壁に大きなひびが入るなど老朽化が進んだため、15世紀後半に教皇シスト4世の命によって、今の強固な姿へと一新されたのです。
その外観は、驚くほど無骨なレンガ造り。バチカン宮殿の一部として埋もれるように建っているため、外からはその全貌がほとんど見えません。実はこれ、かつてのひび割れの教訓を活かし、「控え壁」と呼ばれる頑丈な支えでガッチリ補強された、要塞のような構造なんです。
内部は3階建て。メインとなる2階部分は、聖書に登場する「ソロモン王の神殿」と同じ比率で設計されており、天井の高さは20.7mに達します。
1984年にはバチカン市国の一部として世界文化遺産にも登録されました。一見すると地味な「箱」のような建物ですが、その内側には人類の至宝とも言える荘厳な空間が隠されています。

システィーナ礼拝堂へ
天井画と壁画の見どころ
システィーナ礼拝堂を世界一有名な場所にしているのは、何と言ってもミケランジェロによる壮大な天井画「創世記」です。
実はこの傑作、ミケランジェロ本人は当初、「やりたくない!」と断固拒否していた仕事でした。彼は自分の本職は「彫刻家」だと信じて疑わず、当時の教皇ユリウス2世から制作を命じられた際も、進めていた別の彫刻仕事を中断させられたことに激怒。しかし気難しく信念の強いミケランジェロも、最大のパトロンである教皇の押しには勝てず、しぶしぶ筆を握ることになったのです。
1508年から4年もの歳月をかけて描き上げられたのは、旧約聖書『創世記』の9つのエピソード。
・神による「天地創造」
・アダムとイヴの誕生と、エデンを追われる「失楽園」
・大洪水と「ノアの箱舟」
これら人類の始まりの物語が、約460平方メートルという気が遠くなるような広さに描き出されています。
制作中、ミケランジェロは高い足場の上で、首を極限まで反らせたまま不自然な姿勢で描き続けました。「仰向けで描いた」という説もありますが、実際は立ったまま上を向き続けていたようです。その過酷な労働のせいで、4年後には首が曲がったまま戻らなくなってしまった……という逸話が残るほど。
1512年11月1日。天才が文字通り身を削って完成させた天井画が公開されると、その圧倒的な迫力に世界は息を呑みました。

フレスコ画 「アダムの創造‐Creazione di Adamo」 一部
「最後の審判 ‐ Giudizio Universale」
天井画の完成から20数年後。50代後半になったミケランジェロは、再びシスティーナ礼拝堂で巨大な壁画に挑みます。それが、主祭壇に描かれた渾身の超大作「最後の審判(Giudizio Universale)」です。
400名以上の人物がひしめき合うこの絵の中央には、死者を裁くイエス・キリストの姿。左側には天国へ昇る人々、右側には地獄へ堕ちる人々がダイナミックに描かれています。右下の地獄の描写には、ダンテの『神曲』の影響が見られ、渡し守カロンが亡者を追い立てる恐ろしくも鮮烈な光景が広がっています。
実はこの名画、完成当時は「裸が多すぎる!」と大バッシングを受けました。時の儀典長から「着衣させろ」と理不尽な命令が下り、最終的にミケランジェロの弟子が腰布を描き足す羽目に。そのせいで弟子には「ふんどし画家」という不名誉なあだ名がついてしまったのです。
怒ったミケランジェロは、なんと自分を批判した儀典長を、地獄の裁判官として絵の中に描き込んで復讐した……という痛快な(?)エピソードも残っています。
他にも、剥がされた自分の生皮を持つ聖バルトロメオ(実はミケランジェロの自画像!)など、じっくり探すと面白い発見が尽きません。
システィーナ礼拝堂の内部は案内(ガイディング)が禁止されているため、ガイドはいつも入場前に解説用用パネルなどを利用してこうした裏話をお話ししています。
言葉だけでお伝えするのがもどかしいほど、実物のスケールと迫力は圧倒的。「百聞は一見に如かず」です。ぜひ、ご自身の目でその偉大さを体感してみてください!

バチカン美術館内庭にある「最後の審判」の解説パネル
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オプショナルツアー(現地発着)JPY31,112〜4名様申込時大人1名バチカン美術館の圧倒的空間を、専属ガイドがご案内。ミケランジェロの宇宙に浸ったあとは、ガイド付きツアーのみが通れる秘密の通路を使ってサン・ピエトロ大聖堂へ

教皇選出と白煙の映像 (www.cgenomix.com より抜粋)
コンクラーヴェ ‐ Conclave🔑 と "Habemus Papam"
さて、システィーナ礼拝堂といえば、もう一つ忘れてはならないのが「コンクラーヴェ(教皇選挙)」の舞台ということです。
カトリック教会の最高指導者であるローマ教皇。実は、歴代の教皇は自分の後継者を指名することができません。教皇が亡くなると(または退位すると)、世界中から枢機卿が集まり、この礼拝堂にこもって次の一人を投票で選ぶのです。
面白いのは、その決定を外部に知らせる方法。礼拝堂の屋根に仮設の煙突が立てられ、そこから出る「煙の色」が合図になります。
- 黒い煙:まだ決まらず(再投票へ)
- 白い煙:新教皇が決定!
決定の瞬間、広場に響き渡る「Habemus Papam!(ハベムス・パパム/我ら教皇を得たり!)」という宣言は、世界中が固唾をのんで見守る歴史的瞬間です。
ちなみに「コンクラーヴェ」とは、ラテン語の「cum clavi(鍵がかかった)」が語源。かつては新教皇が決まるまで、枢機卿たちは文字通り礼拝堂に閉じ込められ、寝食を共にしていました(トイレ事情も大変だったとか……)。現在は専用の宿舎が用意されていますが、外部との接触が一切禁止されている点は今も変わりません。もちろんスマホも持ち込み禁止で、最近のコンクラーヴェではご丁寧に電波ジャマーも発動しました。
まさに、日本語の「根比べ(こんくらべ)」に通じるような、精神力の限界に挑む神聖な儀式。この場所はただの「美術館」ではなく、今も歴史が動く現役の聖域なんですね。

バチカン美術館内 庭にある システィーナ礼拝堂天井画の解説図
バチカン美術館のクライマックス ― 天才ミケランジェロが創造した小宇宙『システィーナ礼拝堂』

JTBイタリア
BOCCAさん
バチカン美術館の最深部にある礼拝堂
「システィーナ礼拝堂はどこにあるの?」「別途予約は必要?」と、お客様からよくご質問をいただきます。
実は、システィーナ礼拝堂はバチカン美術館の見学コースの最後にあり、別途予約をする必要はありません。 場所はバチカン市国内、ローマ教皇(イタリア語でPapa。パーパと発音します。パパだとお父さんになるのでご注意を!)の公邸であるバチカン宮殿内です。美術館を順路通りに進んだクライマックスが、この礼拝堂になっています。
ここで最初にお詫びを……。システィーナ礼拝堂の内部は写真・動画の撮影、および映像の掲載が一切禁止されています。 そのため、お見せできる写真が少ないことを予めご了承くださいね。
システィーナ礼拝堂のはじまり
現在のシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)が建つ場所には、もともと「カッペラ・マッジョーレ(大礼拝堂)」という古い建物がありました。しかし、地盤沈下で壁に大きなひびが入るなど老朽化が進んだため、15世紀後半に教皇シスト4世の命によって、今の強固な姿へと一新されたのです。
その外観は、驚くほど無骨なレンガ造り。バチカン宮殿の一部として埋もれるように建っているため、外からはその全貌がほとんど見えません。実はこれ、かつてのひび割れの教訓を活かし、「控え壁」と呼ばれる頑丈な支えでガッチリ補強された、要塞のような構造なんです。
内部は3階建て。メインとなる2階部分は、聖書に登場する「ソロモン王の神殿」と同じ比率で設計されており、天井の高さは20.7mに達します。
1984年にはバチカン市国の一部として世界文化遺産にも登録されました。一見すると地味な「箱」のような建物ですが、その内側には人類の至宝とも言える荘厳な空間が隠されています。
天井画と壁画の見どころ
システィーナ礼拝堂を世界一有名な場所にしているのは、何と言ってもミケランジェロによる壮大な天井画「創世記」です。
実はこの傑作、ミケランジェロ本人は当初、「やりたくない!」と断固拒否していた仕事でした。彼は自分の本職は「彫刻家」だと信じて疑わず、当時の教皇ユリウス2世から制作を命じられた際も、進めていた別の彫刻仕事を中断させられたことに激怒。しかし気難しく信念の強いミケランジェロも、最大のパトロンである教皇の押しには勝てず、しぶしぶ筆を握ることになったのです。
1508年から4年もの歳月をかけて描き上げられたのは、旧約聖書『創世記』の9つのエピソード。
・神による「天地創造」
・アダムとイヴの誕生と、エデンを追われる「失楽園」
・大洪水と「ノアの箱舟」
これら人類の始まりの物語が、約460平方メートルという気が遠くなるような広さに描き出されています。
制作中、ミケランジェロは高い足場の上で、首を極限まで反らせたまま不自然な姿勢で描き続けました。「仰向けで描いた」という説もありますが、実際は立ったまま上を向き続けていたようです。その過酷な労働のせいで、4年後には首が曲がったまま戻らなくなってしまった……という逸話が残るほど。
1512年11月1日。天才が文字通り身を削って完成させた天井画が公開されると、その圧倒的な迫力に世界は息を呑みました。
「最後の審判 ‐ Giudizio Universale」
天井画の完成から20数年後。50代後半になったミケランジェロは、再びシスティーナ礼拝堂で巨大な壁画に挑みます。それが、主祭壇に描かれた渾身の超大作「最後の審判(Giudizio Universale)」です。
400名以上の人物がひしめき合うこの絵の中央には、死者を裁くイエス・キリストの姿。左側には天国へ昇る人々、右側には地獄へ堕ちる人々がダイナミックに描かれています。右下の地獄の描写には、ダンテの『神曲』の影響が見られ、渡し守カロンが亡者を追い立てる恐ろしくも鮮烈な光景が広がっています。
実はこの名画、完成当時は「裸が多すぎる!」と大バッシングを受けました。時の儀典長から「着衣させろ」と理不尽な命令が下り、最終的にミケランジェロの弟子が腰布を描き足す羽目に。そのせいで弟子には「ふんどし画家」という不名誉なあだ名がついてしまったのです。
怒ったミケランジェロは、なんと自分を批判した儀典長を、地獄の裁判官として絵の中に描き込んで復讐した……という痛快な(?)エピソードも残っています。
他にも、剥がされた自分の生皮を持つ聖バルトロメオ(実はミケランジェロの自画像!)など、じっくり探すと面白い発見が尽きません。
システィーナ礼拝堂の内部は案内(ガイディング)が禁止されているため、ガイドはいつも入場前に解説用用パネルなどを利用してこうした裏話をお話ししています。
言葉だけでお伝えするのがもどかしいほど、実物のスケールと迫力は圧倒的。「百聞は一見に如かず」です。ぜひ、ご自身の目でその偉大さを体感してみてください!
コンクラーヴェ ‐ Conclave🔑 と "Habemus Papam"
さて、システィーナ礼拝堂といえば、もう一つ忘れてはならないのが「コンクラーヴェ(教皇選挙)」の舞台ということです。
カトリック教会の最高指導者であるローマ教皇。実は、歴代の教皇は自分の後継者を指名することができません。教皇が亡くなると(または退位すると)、世界中から枢機卿が集まり、この礼拝堂にこもって次の一人を投票で選ぶのです。
面白いのは、その決定を外部に知らせる方法。礼拝堂の屋根に仮設の煙突が立てられ、そこから出る「煙の色」が合図になります。
- 黒い煙:まだ決まらず(再投票へ)
- 白い煙:新教皇が決定!
決定の瞬間、広場に響き渡る「Habemus Papam!(ハベムス・パパム/我ら教皇を得たり!)」という宣言は、世界中が固唾をのんで見守る歴史的瞬間です。
ちなみに「コンクラーヴェ」とは、ラテン語の「cum clavi(鍵がかかった)」が語源。かつては新教皇が決まるまで、枢機卿たちは文字通り礼拝堂に閉じ込められ、寝食を共にしていました(トイレ事情も大変だったとか……)。現在は専用の宿舎が用意されていますが、外部との接触が一切禁止されている点は今も変わりません。もちろんスマホも持ち込み禁止で、最近のコンクラーヴェではご丁寧に電波ジャマーも発動しました。
まさに、日本語の「根比べ(こんくらべ)」に通じるような、精神力の限界に挑む神聖な儀式。この場所はただの「美術館」ではなく、今も歴史が動く現役の聖域なんですね。
