太宰治記念館「斜陽館」
太宰治記念館「斜陽館」

太宰治の生家を訪ねる

にほん再発見の旅
2026年08月31日
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国内旅行
旅行記

『斜陽』『走れメロス』『人間失格』など、第二次世界大戦中から戦後にかけて、数々の名作を発表した小説家・太宰治。特に紀行文『津軽』は、太平洋戦争末期に「故郷をいまのうちに見ておきたい」と 津軽半島を巡った旅の記録であり、懐かしい人々との再会を通して自らの原点を確かめた作品である。

太宰治 太宰治

太宰は、明治42年(1909年)、青森県北津軽郡金木村(現在の五所川原市金木町)に生まれ、幼少期から青年期の一部を過ごした。
父・津島源右衛門は県下有数の大地主で、衆議院議員や貴族院議員を務めた地元の名士。「金木の殿様」と呼ばれたほどの人物である。裕福な家庭に育った太宰だが、母・たねが病弱だったため、乳母や子守に育てられた。少年時代の太宰は成績も優秀で、開校以来の秀才と呼ばれたという。

斜陽館内観 斜陽館内観

太宰治記念館「斜陽館」は太宰が生まれ、中学進学に伴い1923年に青森市へ転居するまで暮らした家だ。明治40年(1907年)に津島源右衛門が建てた豪邸で、約680坪(約2200m2)という敷地には、1階11室278坪、2階8室116坪の母屋のほか、蔵群や泉水を配した庭園が広がり、太宰の実家がいかに裕福であったかを物語る。

斜陽館2階洋間 斜陽館2階洋間

外観は和風だが、中に入ると洋風の意匠も取り入れられた和洋折衷建築であることが分かる。天井は三角形の部材を組み合わせたトラス構造を採用しており、米蔵に至るまで日本三大美林のヒバを使用。太宰は『苦悩の年鑑』の中で「この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。」と書いているが、実際は明治期の豪奢な建築技術の粋を集めた屋敷だった。

斜陽館内観 洋風階段 斜陽館内観 洋風階段

昭和25年(1950年)、戦後の農地改革により津島家はこの家を手放し、太宰治文学記念館を併設した旅館「斜陽館」として再出発した。太宰の生家に滞在したいと訪れるファンで賑わっていたが、平成8年(1996年)には、旧金木町が買い取り、現在は太宰治記念館として公開されている。

太宰治愛用の二重廻し 太宰治愛用の二重廻し

現在の斜陽館では、太宰の生涯をたどる資料や作品世界を紹介する展示が並ぶ。 愛用したマントや執筆用具、身の回りの品々、直筆原稿や書簡など、太宰の息づかいが残る貴重な資料が公開されている。
平成16年(2004年)には、太宰が暮らしていたという文化的価値に加え、近代和風住宅の代表例として文化的意義があるとして、建物全体が国の重要文化財に指定された。

『人間失格』原稿 『人間失格』原稿

津軽には、太宰治記念館「斜陽館」のほかに、文学碑や太宰治像がある芦野公園、太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)、太宰治「思ひ出」の蔵など、太宰ゆかりの地が数多く残されている。また、『津軽』『思ひ出』『十五年間』に登場する場所をめぐれば、作品の風景と太宰の記憶が重なり合い、旅はより深いものになるだろう。

協力・写真=五所川原市教育委員会 文=磯崎比呂美

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