豊國神社 写真提供=豊國神社
豊國神社 写真提供=豊國神社

名古屋中村 豊臣発祥の地

にほん再発見の旅
2026年01月30日
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旅行記

激動の戦国時代を生き抜いた豊臣秀吉。異例の立身出世をして、織田信長の後を継ぎ、天下統一を果たした秀吉の人生は夢とロマンが溢れ、今もなお人々の心を魅了している。
秀吉の出自については諸説あるが、『太閤素生記』によると天文5年(1536年)1月1日に尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)で、足軽とも農民ともいわれる父・木下弥右衛門、母・なかの子として生まれた。幼名は日吉丸。また、その弟の秀長も同じく中村で生まれたといわれる。

大鳥居 大鳥居 写真提供=(公財)名古屋観光コンベンションビューロー

秀吉誕生の地碑 秀吉誕生の地碑 写真提供=(公財)名古屋観光コンベンションビューロー

「日吉丸となかまたち」 「日吉丸となかまたち」 写真提供=(公財)名古屋観光コンベンションビューロー

愛知県名古屋市の中村公園は秀吉生誕の地として知られ、秀吉の家臣であった加藤清正とともに、秀吉清正公園の名で親しまれている。正面には大鳥居があり、純日本風廻遊式林泉庭園をもつ園内には、秀吉誕生の地碑、秀吉のわんぱくな少年時代をイメージして造られた「日吉丸となかまたち」の像、秀吉清正記念館、関白池や太閤池などがあり、また、藤の花の名所としても知られている。

豊國神社 豊國神社 写真提供=豊國神社

開運ひょうたん絵馬 開運ひょうたん絵馬 写真提供=豊國神社

公園の中央部分には豊國神社がある。これは秀吉を祀る神社で、秀吉を神として祀ることが禁止されていた江戸時代が終焉を迎えてしばらく経った、明治18年(1885年)に生誕地の荒廃を嘆いた地元の有志達によって創建された。
出世や受験の神様としても知られ、秀吉の馬印である瓢箪の意匠をいくつも見ることができる。また、開運を祈願する瓢箪型の絵馬も人気を集めている。

太閤山 常泉寺 太閤山 常泉寺 写真提供=(公財)名古屋観光コンベンションビューロー

豊國神社に隣接して立つ日蓮宗の寺院、太閤山 常泉寺。その起源は1600年頃、秀吉が「自らの生家跡に寺を建てよ」と家臣・加藤清正に命じたことに始まると伝えられている。
本堂には、大阪城の豊臣秀頼から譲り受けた豊太閤像が御神体として祀られている。しかし約40年前、放火により半焼という悲劇に見舞われ、その後、大阪城館長との縁により京都美術院で修復が施された。修復後、不思議なことに、そのお顔は年を追うごとに焼失前の面影へと徐々に戻りつつあり、今なお変化をし続ける神秘的な像として知られる。

豊太閤産湯の井戸 豊太閤産湯の井戸 写真提供=(公財)名古屋観光コンベンションビューロー

お手植えの柊 お手植えの柊 写真提供=(公財)名古屋観光コンベンションビューロー

境内には、秀吉誕生の際に用いられたとされる「豊太閤産湯の井戸」があり、当時この井戸が「常に清水が豊かに湧き出ていたこと」から「常泉寺」という寺号がついている。そして秀吉自らが植えたという柊には、「柊は鬼神も恐れる吉祥の樹なり。これからも大切に致すべし」との言葉とともに、自身で竹を添えたという逸話が伝わり、以来この柊は常泉寺、さらには中村区を守護するご神木となっている。その姿は、豊臣一家ないし豊臣の兄弟の想い出を今に伝える、かけがえのない歴史の証であると考えられている。

太閤池 太閤池 写真提供=(公財)名古屋観光コンベンションビューロー

そもそも、豊國神社の境内を市民公園にすることで史跡を保存するために整備された中村公園。毎月9のつく日には「九の市(くのいち)」が行われ、四季を通じてさまざまなイベントが行われている。戦国時代の名武将、豊臣秀吉。その誕生の地は、今も多くの人たちで賑わっている。

協力=豊國神社、太閤山 常泉寺  文=磯崎比呂美
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