
テレビドラマで話題を集めている小泉八雲は、来日した明治23年(1890)島根県立尋常中学校に英語教師として赴任する途中、鳥取に立ち寄って山陰海岸を旅している。その時に出会った盆踊りに感動した八雲は翌年、のちに妻となるセツを連れて再び鳥取を来訪。数日間にわたったこの旅で、2人は地元の人々との交流や美しい風景に魅了され、その時の感動を多くの著書に遺している。
小泉八雲とセツが愛した鳥取のゆかりの地を訪ねた。
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」
小泉八雲(英名:ラフカディオ・ハーン)は、1850年ギリシャのレフカダ島に生まれ、アイルランドの大叔母の元で幼少期を過ごした。16歳で左目を失明し、19歳の時に単身アメリカへ移住。新聞記者として仕事をする中、英訳『古事記』を読んだ影響で日本への興味が高まっていった。明治23年(1890)に来日し、松江にあった島根県立尋常中学校に英語教師として赴任。そこで身の回りの世話をしていた小泉セツと出会い、結婚と同時に帰化して小泉八雲となった。『古事記』の舞台・出雲は八雲にとって憧れの地であり、帰化名も出雲の国を詠んだ和歌に出てくる枕詞「八雲立つ」からとったといわれている。教鞭をとるかたわら翻訳・紀行文など約30の著作を遺し、明治37年(1904)54歳で他界した。
小泉八雲とセツが歩いた山陰海岸
来日した八雲は赴任地である松江へ向かうため、横浜から汽車で姫路へ行き、そこから人力車で鳥取県大山町下市を訪ねた。たまたま行われていた盆踊り「いさい踊り」を見た八雲は「自然界のもっとも古い歌と調和する美しい大地の叫び」(『知られぬ日本の面影』)と深く感動。その後津山から湯原、関金町(倉吉市)を経由して松江に入り、大橋川沿いの富田旅館にて旅装を解いた。3ヶ月あまりを旅館で過ごしたのち、宍道湖岸の借家に移り、ここでのちに妻となる小泉セツと出会った。
旧中井旅館は平成元年(1989)に閉館し、現在は観光施設として公開されている。「小泉八雲の琵琶演奏と語り~小泉八雲を感じる~」を上演(要予約)
赴任途中で見物した盆踊りが忘れられない八雲は、明治24年(1891)セツを連れて再び鳥取を旅する。まだ結婚前だったが、これが事実上の新婚旅行といわれている。再訪した大山町では盆踊りを見られなかったものの、木ノ根神社のご神木を見物。そこから人力車に乗って琴浦町の中井旅館に投宿した。旅館のすぐ前に広がる八橋(やばせ)海岸で海水浴を楽しむなど、ここでの滞在は旅行中でもっとも愉快な時間だった。
八橋海岸に立つ記念碑
友人のチェンバレン宛の手紙に「私は八橋を見つけた」と伝えるほど八橋海岸の風景に魅了された八雲とセツは、連日のように海水浴を楽しんだ。子供たちに洗濯板を使ったサーフィンを習ったり、逢束(おおつか)まで盆踊りを見物に行ったりと地元の人々とも盛んに交流し、生涯忘れられない旅を満喫している。その後、湯梨浜町の東郷池や浜村温泉に立ち寄り、数日間に及んだ鳥取の旅を終える。この旅で味わった感動と記憶から、のちに多くの紀行文や怪談話が生まれている。
スイーツからお酒の肴までバラエティ豊富な物販コーナー
鳥取県北栄町の国道9号線沿いに令和7年4月25日にオープン。「北栄町の豊かな自然と美味しさであなたに笑顔と元気をつなげたい」をコンセプトにした物販コーナーには、肥沃な大地から生まれる大栄すいかや野菜、花、砂丘地で栽培される長芋やラッキョウなど、ここでしか手に入らない特産品がずらり。それらを生かしたスイーツやお土産品も充実している。
見るからに豪快な「ねば山海鮮どっさり丼」
約10万m²という広大な敷地にオートキャンプ場やキッズコーナー、芝生広場などが揃う道の駅ほうじょうの中でも人気を集めているのが、特産の長芋・ねばりっこを使ったオリジナル料理が味わえる食事処「砂丘の恵み ねばりっこ食堂」。日本海の幸を盛った海鮮丼から県産ブランド豚を使ったトンカツ、ラーメン、カレーまで多彩なメニューが揃っている。中でも「ねば山海鮮どっさり丼」はインパクト大!てんこ盛りの刺身の上にねばりっこがトッピングされた豪快な一品で、甘味とコクのあるねばりっこの風味が食欲をそそる。
【道の駅ほうじょう】
鳥取県東伯郡北栄町国坂1525-92
9:00~17:00(食事処は10:00~16:00<15:30LO>)
年中無休
TEL:0858-36-5588
【問い合わせ先】
鳥取県観光連盟 TEL:0857-39-2111