
4月中旬、北海道でも桜がほころび始め、4月下旬には満開に。春爛漫の風景が随所で見られるようになる。函館市に位置する五稜郭公園は北海道を代表する桜の名所の一つとして知られ、この時期、県内外から多くの人が訪れる。
五稜郭タワーと桜 写真提供:(一社)函館国際観光コンベンション協会
五稜郭の歴史は幕末まで遡る。当時の日本は、嘉永6年(1853年)のペリーの来襲により200年以上も続いた鎖国政策が崩壊。安政元年(1854年)、幕府は「日米和親条約」を締結し、函館を開港した。開港を前に、幕府は函館山の麓に外国との交渉や防衛などを担当する箱館奉行を配置したが、外敵からの防御に適さないことから、内陸の平地に移転して建設されたのが五稜郭である。
お堀 写真提供:公益社団法人北海道観光機構
五稜郭の設計は、箱館諸術調所の教授であった武田斐三郎が担当。当時函館に入港していたフランス軍艦の士官から贈呈された築城書をもとに、ヨーロッパで発達していた大砲や小銃での攻撃に対抗できる土木技術「稜堡(りょうほう)式城郭」を採用した。「稜堡」とは三角形の突端部のことで、「稜堡」が五か所設置されている五稜星形をしていることから、「五稜郭」の名がつけられたと言われる。
ライトアップ 写真提供:公益社団法人北海道観光機構
元治元年(1864年)には、箱館御役所(通称「箱館奉行所」)として政治を担う場所となったが、慶応3年(1867年)の大政奉還により、徳川幕府は政権を天皇に返上。明治元年(1868年)5月、明治政府の箱館裁判所総督へと事務の引継ぎが行われた。同年、「錦の御旗」を掲げた薩摩長州連合軍と旧幕府軍が衝突。旧幕府海軍の副総裁である榎本武揚や土方歳三に率いられた新選組は蝦夷地を目指して五稜郭を占拠したが、激戦の末翌年5月に降伏した(箱館戦争)。
箱館奉行所 写真提供:(一社)函館国際観光コンベンション協会
大正3年(1914年)には、市民の要望から公園として一般公開され、昭和27年(1952年)には、北海道では唯一の特別史跡に指定。さらに、調査研究が進められて、石垣の修理や橋が架け替えられ、平成22年(2010年)には、公園の中央に箱館奉行所が復元された。
お堀 写真提供:(一社)函館国際観光コンベンション協会
五稜郭が桜の名所として知られるようになったのは、函館毎日新聞社が発行1万号記念として、ソメイヨシノの苗木5,000本を植樹したことがきっかけとなっている。その後、昭和25年(1950年)頃から昭和40年(1965年)頃まで植樹が続けられ、今では、春に約1,500本の桜が開花している。開花期間中は、手漕ぎボートに乗ってお堀から桜を眺めたり、ライトアップされた夜桜の下を歩いたりと、さまざまな楽しみ方ができる。また、公園に隣接して立つ五稜郭タワーの展望台に上って、桜に彩られた星型の五稜郭や函館市街、津軽海峡を一望するのもいいだろう。
戊辰戦争終焉の地として激戦の舞台となった五稜郭。今では市民の憩いの公園として、日本の歴史を伝える史跡として、静かに時を刻んでいる。