ミケランジェロの傑作「最後の審判」が鑑賞できる
システィーナ礼拝堂

システィーナ礼拝堂のフレスコ画を説明するガイド
バチカン美術館 館内にある礼拝堂
お客様に システィーナ礼拝堂はどこにあるのか場所を教えてください、とか バチカン美術館に入ったら システィーナ礼拝堂は別途予約するのですか?と よく聞かれます。
システィーナ礼拝堂はバチカン市国内のローマ教皇(Papa - 教皇の意味で、発音はパーパ。パパだと父の意になります)の公邸であるバチカン宮殿にある礼拝堂です。通常バチカン美術館の見学で1番最後に鑑賞する所がシスティーナ礼拝堂となっています。システィーナ礼拝堂を別途入場予約する必要はありません。
ここでまず 先に謝ってしまいますが、システィーナ礼拝堂では許可なく写真や動画を撮影したり、礼拝堂内部の映像を許可なく掲載する事は固く禁じられています。従いまして映像が少ない事を予めご了承ください。

システィーナ礼拝堂 外観(https://michelangelobuonarrotietornato.comより抜粋)
歴史
システィーナ礼拝堂(伊語: Cappella Sistina) は、もともと存在していた古いマッジョーレ礼拝堂を、教皇シスト4世(Papa Sisto IV della Rovere)の命により 1473年から1481年にかけて建て直して建設されました。礼拝堂の名前は、教皇の名前に由来しています。建築家はバッチョ ポンテッリ(Baccio Pontelli)。落成したシスティーナ礼拝堂で最初のミサを執り行ったのは同じシスト4世だったそうです。
システィーナ礼拝堂は、外観は簡素のレンガ造りの長方形の建物で、中世からルネサンス期の教会堂の特徴と同じです。入り口はバチカン宮殿内の1箇所のみで、外からはほとんど見えません。3階建てで、1階が最も大きく、実用的な窓と円天井があります。2階は重要な部分で、エルサレムにあった聖なる神殿ソロモン王の神殿と同じ比率を持ち、円天井の高さは20.7m。3階は衛士の控え室。前述のマッジョーレ礼拝堂の地盤沈下とひび割れに悩まされた教訓から控え壁が設けられ、同礼拝堂建設後に建てられたバチカン宮殿付属の建物とは異なる外観となっています。システィーナ礼拝堂は1984年にバチカン市国が世界文化遺産として登録された際に一緒に含まれています。

システィーナ礼拝堂へ
天井画と壁画の見どころ
システィーナ礼拝堂の最も有名な特徴は、その天井画と壁画です。特にミケランジェロ(Michelangelo Buonarroti) による天井画「創世記」は、彼の最高傑作の一つとされ世界でも最も有名な作品の1つ。1506年、教皇ユリウス2世(Giulio II)はシスティーナ礼拝堂の天井を絵画で装飾する計画を立てました。当時、礼拝堂の側壁にはペルジーノ、ボッティチェッリ、ギルランダイオら、当時著名なルネッサンス期の画家たちによって制作された「キリスト伝」や「モーセ伝」を描いた壁画がありました。
ミケランジェロは縦40m、横13mで、総面積は460平方メートルという大規模な天井画の制作を命じられましたが、自己を画家より彫刻家として自認しており気乗りせず、この仕事を引き受けたくありませんでした。 また 同教皇に依頼された墓碑制作に取り掛かっていたのに それを中断された事に腹を立てていました。 ミケランジェロは気難しい人だったとも言われていますが、芸術家としての自負と信念が非常に強い人だったのです。 しかし 最大のパトロンであった教皇も譲らず、最終的にミケランジェロは依頼を仕方なく受け入れる事となりました。
1508年から1512年の4年にかけて描かれたシスティーナ礼拝堂の天井中央部分に描かれているのは『旧約聖書』に記された『創世記』の9つのエピソードで、これら9つのエピソードはさらに大きく3つの物語に分けられます。神による天地創造の物語、神による最初の人間であるアダムとイヴの人類創造と神にそむいたアダムとイヴがエデンの園から追放される失楽園の物語、そして大洪水とノア一族 の物語です。1512年11月1日に天井画は公開されました。
ミケランジェロは天井に絵を描くために足場を制作して平らな板に仰向けとなり天井画を描いたとか、実際は立ったまま首を反らせて制作していたとも言われていますが いずれにしても辛い体勢で超大作を4年もかけて1人で描き上げた為 首が曲がってしまったと言われています。

フレスコ画 「アダムの創造‐Creazione di Adamo」 一部
「最後の審判 ‐ Giudizio Universale」
先述の 「創世記」 完成から 20数年後、ミケランジェロは教皇クレメンテ7世(Clemente VII)に主祭壇画の制作を命じられ、後継のパオロ3世(Paolo III)の治世であった1535年から1541年にかけて「最後の審判 ‐ Giudizio Universale」が完成しました。「最後の審判」には400名以上の人物が描かれ、中央には再臨したイエス キリストが死者を裁くダイナミックな構造となっています。左側には天国へ昇る人々、右側には地獄へ堕ちる人々が描かれています。右下には冥府の渡し守カロンが亡者に櫂を振る姿があり、死者はアケローン川を渡って地獄の各階層に振り分けられます。この地獄の描写には ダンテの『神曲』地獄篇(インフェルノ)からの影響が見られます。
作品には裸体が多かった為に儀典長から非難を受け、”着衣をさせよ”という指示が出された事にミケランジェロの弟子ダニエレ ダ ヴォルテッラが応じて腰布を加筆したのですが その為に彼は「ふんどし画家」と あまり嬉しくないあだ名がついてしまいました。ミケランジェロは「着衣」に反発し 最後の審判の絵の中で この儀典長を地獄に配したというエピソードがあります。また、キリストの右下には自身の生皮を持つバルトロメオが描かれており、これはミケランジェロの自画像とされています。さらに、画面左下には、ミケランジェロが青年時代に説教を聴いたとされる ルネサンス全盛期に現れた宗教改革者サヴォナローラらしき人物も描かれていると言われています。
システィーナ礼拝堂内部ではガイディングが禁止されている為、こう言ったエピソードは ツアー中にガイドが絵をお見せしながら説明し、システィーナ礼拝堂で お客様に実際のフレスコ画を見ていただいております。
こうやって 文面だけでご説明するのが とってももどかしいほど、実際のフレスコ画たちは 規模がとても大きく、天井画や壁画は場所が高いので 近くで見られるものではないのですが、それでも そのスケールと偉大さに圧倒されます。ミケランジェロが何年もかけて描いていく姿を想像し 感動を覚えます。 が、百聞は一見に如かず、です。 是非 弊社ツアーにご参加いただきご自身の目で ご覧になってください!

バチカン美術館内 庭にある 「最後の審判」の解説図

教皇選出と白煙の映像 (www.cgenomix.com より抜粋)
コンクラーヴェ ‐ Conclave🔑 と "Habemus Papam"
聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。 コンクラーヴェは全カトリック教会の最高司祭であるローマ教皇を、枢機卿の投票で選出する手続きの事を意味します。歴代のローマ教皇は後任教皇を指名する事ができません。教皇の死去により後継者の選出の為に枢機卿が投票する場所がこのシスティーナ礼拝堂となります。礼拝堂の屋根に煙突が建てられ、投票数の3分の2以上の得票で教皇が決定すると投票用紙を燃やし、白い煙が出れば後継者が決定、黒い煙が出れば再投票が必要となるのです。
昔は コンクラーヴェが終了するまで枢機卿達は鍵をかけられたシスティーナ礼拝堂に閉じ込められて外には絶対に出られず寝食を共に(トイレもですよね。。。)していましたが、現在は後継者が選出されるまで、別途用意されている宿舎で生活をしながらシスティーナ礼拝堂で投票するのだそうです。ただし、外部との接触は厳しく禁じられています。
カトリック教会の長い歴史の中で、教皇選出の秘密を守り、外部干渉を避ける為に考えられた方法なのでしょう。
(コンクラーヴェって日本語の 根比べと、色んな意味でちょっと似てますね。。。)
そして教皇の後継者が決まると 白煙の映像と共にメディアでは Habemus Papam!(ラテン語で "We have a Pope!" の意) が叫ばれます。
因みに コンクラーヴェとはラテン語で “cum clavi”(鍵がかかった) の意味なんだそうです!🔑
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バチカン美術館内 庭にある システィーナ礼拝堂天井画の解説図