タルトゥ スポット 検索一覧
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7 件 (1-7件を表示)
タルトゥ・ラエコヤ広場(タルトゥラエコヤヒロバ)
- タルトゥ
- 歴史的建造物
市庁舎に面する、街の中心地。ここは18世紀には最も重要な市場があった場所で、現在の市庁舎はこれまでに3度の再建を経たもの。玉石が敷き詰められた広場は、エマユギ川に向かってゆるやかに傾斜し、噴水の中央には、抱き合ってキスする若者の像「学生たちのキス」が立つ。周辺には新古典主義様式で統一された建物が並び、調和のとれた空間が広がっている。毎日12時、18時、21時に響き渡る市庁舎の鐘の音も名物で、夏にはレストランやカフェのテラスが観光客でにぎわう人気のスポットだ。
タルトゥ大学植物園(タルトゥダイガクショクブツエン)
- タルトゥ
- 動植物園
タルトゥの旧市街からさほど遠くない、エマユギ川沿いにあるこの植物園の創立は1803年。世界的に有名な植物学者のレーデブール教授をはじめとする歴代のディレクターにより設計されたもので、3万5000㎡の広大な敷地に、池、温室、バラ園などが点在する。随所に置かれた彫刻にも注目だ。世界のすべての気候帯より集められた植物のコレクションはなんと1万種以上。敷地面積700㎡の巨大な温室では、4つの気候帯の環境下で管理されているさまざまな植物を見ることもできる。
タルトゥおもちゃ博物館(タルトゥオモチャハクブツカン)
- タルトゥ
- 博物館・科学館・資料館・記念館
愛らしい木造の家屋と石畳が印象的な博物館はト-メ丘近く旧市街の外れに位置する。世界中から集められたアンティークの人形やパペット、ブリキの乗り物玩具などは数えきれない程。中でも珍しい物は130年前の人形とエストニア映画用の人形。誰もが子供の頃遊んだおもちゃを見つけられる、ノスタルジックな空間。子供と楽しめるシアター、赤ちゃんにはベビーシアター、たくさんのおもちゃを使って遊べるプレイルームもあり、家族連れにはあっという間に時が過ぎてしまうだろう。時間に余裕をもっていくことをお勧めする。隣接するシアターでは季節により様々な子供向けの劇(別料金)が公演されている。
タルトゥ大学博物館(大聖堂)(タルトゥダイガクハクブツカン(ダイセイドウ))
- タルトゥ
- 歴史的建造物
レンガ作りでゴシック様式の吸い寄せられるような美しさを持つ大聖堂はオールドリヴォニアで最大の物。何世紀もの間、大聖堂はタルトゥ主教区の権力の象徴であり続けたがリヴォニア戦争の間に、教会はロシア軍によって破壊、その後火災により荒廃してしまう。そんな魅力的な歴史と17世紀から現在までの科学と大学の学術遺産についても触れることができる博物館。クレイジーサイエンティストのコ-ナ-では子供から大人までが遊びや実験を通して学べる。せっかくならカテドラルの展望台に登って、そこからタルトゥの街の美しい街並みを満喫してみよう。
タルトゥ大学旧天文台とシュトゥルーヴェの三角点アーチ観測地点群(タルトゥダイガクキュウテンモンダイトシュトゥルーベェノサンカクテンアーチカンソクテングン)
- タルトゥ
- 博物館・科学館・資料館・記念館
ノルウェーのハンメルフェスト岬から黒海沿岸モルドバのスタラ・ネクラシウカまでの直線距離の計測に成功したロシアの天文学者フリードリッヒ・シュトゥルーヴェ。1816年、彼はロシア帝国時代にこの天文台の館長・学者として、40年の月日をかけ世界の仲間たちと大きな功績を残した。それは地球の正確な形状と大きさを割り出すことだった。タルトゥ天文台はロシア帝国時代最も重要な科学の中心地となり、その後2005年にはここを含む34か所10か国にまたがる地が世界遺産となた。旧天文台は1996年にタルトゥ大学に返還、2011年には博物館と生まれ代わりプラネタリウムの他、学生向けにエデュケ-ションプログラムも充実している。
エストニア国立博物館(エストニアコクリツハクブツカン)
- タルトゥ
- 博物館・科学館・資料館・記念館
壮大かつ斬新な建物は2006年、コンクール優勝から約10年の年月をかけて建てられた国立博物館。これを手掛けたのは日本人建築デザイナーの田根剛氏。第二次大戦時、旧ソ連軍の滑走路だった場所に過去と未来を繋ぐ民族の歴史を伝える願いを込めた。全長355m、幅72m、延床面積34,000平方メートルの巨大な建物内部には1909年創立からの生きたコレクションを展示。静かに待ち続けたエストニアの人々の強い想いがようやく現実となってこの場所に現れた。 11のテ-マに別れた常設展にはフィンランド・ウグリック民族の伝統的な日常文化にも触れている他、様々なテーマを取り上げた企画展も興味深い。レストランや土産店も館内完備。
タルトゥ(タルトゥ)
- タルトゥ
- 繁華街・町並み・散歩道・観光道路
古代より人が集まり、交易で栄え、11世紀にはすでに要塞が建てられていた。十字軍侵攻後、ドイツ人の支配下で街はドルバットとドイツ風の名前で呼ばれるようになり、13世紀末にはハンザ同盟に加盟している。1629年のアルトマルクの講和後、街はスウェーデンの支配下に入った。スウェーデン国王グスタフ2世が1632年にエストニア初の大学を設立。以来、学園都市として知られるようになる。現在も、中世の建物が多く残る街中にはタルトゥ大学などがあり、学生の街としてにぎわっている。