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ベドウィンの教え
渡辺 伸悟
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5 モーゼの山
  3日目。朝2時起床。昨日は結局、サラと話し込んで就寝は23時だったので、正味3時間ほどしか寝ていないことになる。ここからモーゼ山までは徒歩20分弱。登山に3時間はかかると言われていたから、少なくとも6時までに頂上に辿り着こうと思ったらすぐに出発しないと間に合わない。サラはもう起きていて、温かいコーヒーとパンを用意してくれていた。出発するときに、15EPはさすがに安すぎると思って、20EP払おうとすると、サラは笑って、
  「『Life is not money』。いい朝日が眺められるといいな」
とだけ言って、受け取ってくれなかった。
日本人の彼女がいるという話、あながち嘘でもなさそうだ。
  エルマルガの町からモーゼ山の麓までは歩いて20分くらい。他には誰も歩く者がいない、舗装の悪い道路をただひたすら歩いていく。モーゼ山の麓には、キリスト教のバシリカがあって、燃える柴の教会や図書館などがある。この建物の外壁はまるで城壁のようで、もしかしたら、戦争の時には要塞として使われたのかもしれないなと、眺めながら思った。
  僕らが歩いてきたエルマルガの方向からは全く人の気配がないので、今日の登山者は僕らしかいなのかと思っていたら、何のことはない、少し離れた場所にホテルがあって、そこからバスに乗って続々と観光客がやってきた。朝の3時前だというのに、登山口の近くの店は開店していて、軍人のような人が何人も登山口に立っていた。ガイドだと名乗る人が次々と声をかけてきて、格安で頂上まで案内しますと言う。モーゼ山は標高が約2,300メートルで、頂上に登るには3,250段もの階段を登らないといけないらしい。もしくは、ガイドと一緒にラクダに乗って登るか。これだけの観光客がラクダ道か階段を登るなら、誰かについていけばいつか頂上に辿り着くだろうということになり、僕らは水だけを買って、いざ登山!
  夜道は暗く、足元さえ見えないので事前に買っておいた懐中電灯をつける。他の登山客はしたたかで、誰か灯りを持っている人の近くや後ろに張り付いて、自分たちは懐中電灯を使わずに済まそうとしていた。僕らの後ろにもそういう輩がいたので、少し困らせてやろうと、懐中電灯の灯りを消した途端、グニュ、と僕の足元で不快な感触が。
  「うわっ!何か踏んだ!」
  「どうしたん?・・・あ、ラクダの糞やん!」
Iさんは大笑いして、後ろにいたドイツ人だかフランス人だかの初老の夫婦にも笑われて追い越される始末。モーゼの十戒ではないけれど、‘モーゼ山では、懐中電灯を消すこと勿れ’と心に刻んだ。
頂上までは一本道で、どうやらラクダ道の方を歩いていたようだけれど、Iさんの一言で、あることに気がついた。
  「ねぇ、まわり、年寄りばっかじゃない?」
  「え?あ、そういえば…」
  「だって、さっきから日本人はいないし、若者なんてぜんぜんいないよ」
  「たしかに…」
そうなのだ。山頂への道筋には所々に休憩所があって、温かいコーヒーやティー、お菓子などが買えるのだが、そこに座っているのは、本当に全員が全員、お年寄りなのだ。中には、70歳は確実に超えているのではないかと思える夫婦もいて、なんて足腰が強い人たちだと驚嘆したものである。ドイツからやってきたある初老の紳士に写真を撮ってもらった時にその話をすると、
  「若者は昨晩から山頂へ登って一番いい場所を取っているよ。若者が少ないのはそのためだと思う。私たちは、キリスト教だからね、死ぬ前に一度は、シナイ山に登りたいのさ。年甲斐もなく、だけれど」
と、事情を話してくれた。日本だと四国の八十八箇所巡りでお遍路さんをするようなものなのだろうか。いずれにしろ、信仰心というのは、かくも強いのだなというのを思い知らされた場面だ。なにしろ、20代の僕らでも歩いて3時間はかかる山道を歩いて登っていくのだから半端じゃない。


6 太陽
  5時45分。ついに山頂へ到着した。ご来光は6時30分ごろだという話だったので、眺めの良い場所を探して確保。頂上は寒く、トレーナーにパーカーを羽織っていても鳥肌が立つ。毛布を貸し出している人たちがいて、どこにいても商魂逞しい人はいるものなんだなと妙に感心した。頂上には小さな教会が一つあって、他には何もない。辺りはまだ暗く、山は単なる黒い影に過ぎない。他の登山客は、寝ている者、祈っている者様々だ。
  6時15分頃、東の空がだんだんと明るくなり始める。山の黒が濃い青に変わり、じっと息を潜めて眺めていると、その青に透明が混じり始める。少しずつ薄い青に変わっていく空と、まだ黒い山の影との間に、いつの間にかオレンジのラインがすぅーっと伸びているのに気づく。色の変化はとてもゆっくりで、でも確かに変化している。気がつくと、寝ていた者は起き上がり、祈っていた者は祈りをやめ、皆一様に東の空を眺めていた。静かに。ただ静かに……。
  モーゼはここで神に出会った。それはきっと、何万年昔から変わることのないこの太陽に違いない。静かに柔らかく、しかし確かな輝きをもって、世界中を照らし出す存在。誰もがそれから目が離せず、国や言葉や宗教を超えて、何か本当に大きな存在のもとに自分たちは存在している、生かされている。ああこの光が…。はっきりとは描写できない。言葉では到底表せない何かが存在していることを、その丸い輪郭をはっきりと際立たせて現れたそれは証明していたように思う。誰も、何も言わなかった。いや、言えなかったのだと思う。ただ、
  「ああ…、すごい…」
そんな言葉を捻り出すのがやっとだった。
  誰かが、
  「It’s wonderful」
と呟いた。さざ波のように、何かの支配から逃れたかのように人々が口々に感動を言葉にし始めた。残念ながら、誰も「神からの言葉」を聞いた者はいないようだった。
  現実感が戻ってくると途端に俗人になってしまうのは、やはり僕が未熟だからだろうか。下りは3,250段の階段―ほとんど岩の段差のようなもの―を使ったのだが、最初の予定に書いたように、カイロに戻るバスに間に合うようにエルマルガに戻らなければならない。
  紆余曲折はあったものの、なんとか、ぼったくられることなくカイロまで帰るバスを手配した僕らは、行きは右手に見えていたスエズ運河を今度は左手に見ながら、なんだか旅が終わったような感覚を味わっていた。たった1日足らずだが、心に響く出来事が多すぎた。


7 旅の終わりに
  聖カトリーナにあるバシリカを、ベドウィンの民は守っていたのだという。忍耐強く、いつか信心は祝福されると信じて。資本主義や市場経済主義が世界を謳歌し、エルマルガのような辺境の町でさえ、それから無関係ではいられない。どの国を訪れても、ぼったくられるし、拝金主義の人々は大勢いる。日本人は簡単にお金を払うから、10倍の値段を言うことなんてザラだ。それでも、そんな世界の中で、民族の誇りをしっかりと固持し「Life is not money」を貫く人がいる。
  ニーチェは、神は死んだと言った。人々が神を殺した、と。だが、神は存在している。存在そのものは消えることはない。僕は特別に信仰心を持っているわけではないけれど、だからといって宗教を否定しない。モーゼの見た世界に、モーゼが聞いた言葉に触れることは出来ないけれど、あの場所で僕が見た太陽は、美しかった。
  彼らのように、確固たる自分の信念を見つけられたら。現代のように、個人がこんなにも公に晒されてしまう社会にあって、ぶれない自分自身を見つけられたら。いつか、自分が自分であることに対して、自然でいられる自分になりたい。
…ノートを閉じる。やっぱり部屋は片付いてない、か。



評価のポイント
 ベドウィン民族の独特の世界観が「教え」をもとに描けている。作者とベドウィンのサラとの「ベドウィンの教え」を通じた交流がモーゼ山に登った感動とともに素直に表現できている。

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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。