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深瀬 惇(旅先:カルムイキア共和国)

しかし、ドルジンから手紙は来なかった。
――「ご縁」の説明は通じなかったか。
ぼくはすっかり諦めていた。それから十年たった2011年4月、見慣れない航空郵便が家に届いた。インド北西部の都市の消印がある。開けるとロシア語の手紙が入っていた。ドルジンからだった。
《日本で大きな地震と津波があり、たくさんの人が亡くなった、というニュースを見ました。地球儀の日本は遠いですが、わたしの心の地球儀に距離はありません。カルムイキアには、怒りは一人で、喜びは二人で、悲しみはみんなで、という言葉があります。わたしは祈りを捧げることしかできません。でも心は日本の人たちといつも一緒です》
東日本大震災のことを心配するドルジンの手紙だった。異国の修行僧が日本の惨状を知り、被災者に寄り添う思いを簡潔な文章で綴っていた。「祈ることしかできない」という控えめな言い方に求道者の強さを感じた。
ぼくは文法もろくに知らない無手勝流で、生まれて初めてロシア語の手紙を書いた。
《ドルジン君、ぼくを覚えていてくれて、ありがとう。東北の地震は二万人以上の人の命を奪い、たくさんの家や建物を津波が呑み込みました。ぼくの友人と家族も犠牲になりました。でもいつまでも悲しんではいません。東北の人たちはもう明日に向かって立ち上がっています。あなたの祈りで、ぼくも少しは元気を取り戻せたように思います》
ドルジンから二回目の手紙が来た。
《ヒンディー語で「昨日」は「カール」と言います。そして不思議ですが「今日」と「明日」も「カール」と言います。ヒンディー語では時間の流れは無限で、一日ごとに区切るのは意味がないと考えるのです。日本の東北の人たちにこのヒンディー語を贈ります。無限の流れの中で悲しみは一瞬です。つらいカールの次は、喜びと希望のカールが来るとインドの人たちは信じています。東北のみなさんに、希望のカールが訪れますように》
ドルジンの手紙は、このあと途絶えた。そして三回目の手紙が来たのは、さらに八年たった2019年1月だった。
《すべての修行を終え、僧侶の試験に合格しました。来月、十七年ぶりでカルムイキアに帰ります。故郷も時代に応じて変化しているようですが、文明がどれほど発達しても、祈りを捧げる仏教の本質は変わりません。僧侶として自分に何ができるのか、これからも学び続けます》
クリクリ頭の少年は長い修行の末に、立派な僧侶になったのだ。
《ドルジン君おめでとう。君が日本人に捧げてくれた祈りを、ぼくは忘れません。君の門出に際し、会ってお礼が言いたい。十八年前に君と出会った同じ日時、3月11日午後四時にシュメ寺院のマニ車の前で会いましょう。ぼくの勝手なお願いですから、君の時間がなければ気にしないでください。》

こうしてぼくは再びシュメ寺院のマニ車の前に来た。ぼくの手紙をドルジンが読んだかどうかは、返事が来なかったのでわからない。でもたとえ彼に会えなくても、ぼくだけのセンチメンタル・ジャーニーで構わない。ぼくはいろんな思いを巡らせながら、腕時計を何度も見た。
時計の針は五時を回った。
――やはり来ないか…。
諦めかけたとき、本堂から出てくる僧侶の姿が見えた。裸足でゆったりと歩いてくる。
――ドルジンだ。ドルジンが来た!
えんじ色の僧衣の下に、高僧が着ける黄色の衣をまとっていた。ドルジンはぼくの前で目を細め、合掌した。
「今日は特別な日です。朝九時からマンジや信徒らと長いお祈りをしました」
ドルジンは3月11日に東日本大震災があったことを知っていて、地震と津波が起きた日本時間に合わせて法要をしていたのだ。そして懐から小さなものを取り出し、ぼくの手のひらに握らせた。そっと手を開くと、ピカピカに磨かれた五円玉があった。
「わたしとあなたをつないでくれたゴエンです」
ぼくが五円玉に込めた「ご縁」の意味を、ドルジンは理解していた。それを知っただけでも、ここまで会いに来た甲斐があった。
「君が手紙に書いた、怒りは一人、喜びは二人、悲しみはみんなで、という言葉をぼくは手帳にメモしているよ。仕事に行き詰ったり人間関係で困ったりしたら、手帳を開いて読み返すと勇気が湧いてくるんだ」
そう言って彼を見た。その瞬間、若いころの父の顔がドルジンと重なった。
軍人だった父は敗戦でソ連に抑留された。イルクーツク近くで過酷な森林伐採をさせられた。多くの同僚が死んだ中で、自分は帰国した贖罪の意識があったのだろう。戦争の話を家族にはせず、怒りと悲しみを孤独な心に閉じ込めたまま早世した。
十八年前に車で送ってくれたロシア青年に「抑留された日本人が喜んで働いたわけではない」と反論しかけたが、それを言えば父の悲しみを引きずることになる。
――つらいカールの次は、喜びのカール。
詮無い夢想だが、父がシベリアでこの言葉を知っていれば、その後の人生を少しは明るく過ごせたかもしれない。
ぼくは来年古希を迎える。ドルジンの二倍の人生を生きてきた。だが彼に巡り会わなければ、自分の未熟さに気づかないまま馬齢を重ねただろう。
「明るいカールは必ず来ます。カルムイキアという国で祈りを捧げている僧侶がいることを、どうか忘れないでください」
ドルジンは合掌して去って行った。
夕闇に包まれてぼくはマニ車を回した。ギギッときしむ音がしたが、円筒は回転した。ぼくは九つの円筒を順番に回しながら、同じ言葉を繰り返した。
――東北の苦難が早く消えますように。そしてゴエンをつないでくれたマニ車さん、ありがとう。
18年前に訪れたカルムイキア共和国にあるチベット仏教の寺院で筆者は一人の見習いの少年に出会う。それから年月が経ち東日本大震災をきっかけに再び二人の交流がはじまる。東方の最初の仏教国で生まれた僧と、西方の最初の仏教国で生まれた筆者の交わりは、物理的な距離を超えて、心を通じ合わせていく。
・筆者自身が感じた情景や感覚の描写は想像力を大いに刺激し、旅へのモチベーションをかき立ててくれる。
・日本人なら誰でも印象深い東日本大震災を入れ込んだ構成で、読者を強く惹きつける。手紙のやり取りを通じた筆者の感情表現も巧みでドラマチックに書きあげられている。
※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。