JTB交流創造賞

  • トップページ
  • 受賞作品
  • 第15回JTB交流創造賞選考委員

交流創造賞 一般体験部門

第13回 JTB交流創造賞 受賞作品

優秀賞

考えるたび

塚田 有紀子 (旅先:ポーランド)

次の建物へ入るとそこには、毒ガスとして使用された大量のチクロンの缶が展示されていた。そして次に、ユダヤ人が持ってきた旅行鞄があり、食器があり、靴やクリームやクシが大量に残されていた。ここに連れてこられる時、一番お気に入りの靴を履き、とっておきの食器を持参したに違いない。そこに料理が盛られる事はなかったのに…。それぞれに思いの詰まった持ち物の重みに胸が詰まる。そして最後には、大量の髪の毛が残されていた。老人や子供、男性や女性、それぞれが違う色の髪の毛だったのだろうに、今は皆同じ色になっていた。人は、人間は、皆同じではないか。ユダヤ人も、ドイツ人も、世界中の人々は…。

展示物の数々が、ユダヤ人というだけで区別した事実を証明していた。縦縞模様の服を着せ区別し、更に、当時ジプシーと呼ばれたロマの人々や、同性愛者など、細かく印をつけて区別し、差別していった。

中谷さんは、どうしてドイツは、この様な非人道的な政策をすすめていったのか、話してくださった。当時のドイツは、世界最高水準の知識や技術、文化を持っていて、世界中から人々が学びにくる場所だった。それが、第一次世界大戦の敗戦により領土を奪われ、多額の賠償金を抱え、世界恐慌も重なって、人々の貧困は、想像を絶する状況になっていたのだという事。そしてこの状況から立ち上がる為に、自分達は優れていると主張する指導者を選び、それを証明する為に他を排除する政策に従ったのだという事実。

中谷さんは、どうしてそうなったのか、そこを考えてみてください。と言った。この衝撃の事実を目にして、只只悲しんでいるだけだった私は、ハッとした。アウシュビッツ強制収容所が、なぜ今もこの場所に残っているのか。

そうか、ここは、ひとりひとりがどうしてこの様な悲惨な事が起こったのかを考え、その事を繰り返さない為にはどうしたら良いのかを考える場所なのか、と。

次の建物へ入る。粗末な細い通路を降りていくと、そこは細かく区切った囲いが残されているだけの部屋があった。囲いは狭く座る事も出来ない。脱走した人など、餓死するまで食べ物を与えずに立たせ、処刑した部屋だという。部屋には、囲い以外何も残されていなかったが、何もないからこそ、想像し考える。どうしてこんなに残酷な事が出来たのかと…。

外に出るとコンクリートで出来た死の壁があり、その先に絞首刑台が続く。鉄条網をくぐり抜けると、そこにはガス室の建物があった。入口は狭く、入る人出る人、一列ずつで行き交う。入る時、そこから出てくる若者達とすれ違った。皆、強く口を真一文字に結んで、何かをじっと考えている様だった。

ガス室の中は囲いも何もなく、暗くひんやりとしていた。天井に煙突の様な穴がひとつ、ここから毒ガスが投げ込まれたという。唯一の穴。この暗い空間。当時ここから唯一、光が差し込んだのかもしれない。でも光の先から投げ込まれた物を思うと、やりきれない。どうしてこんな事がと考える。

アウシュビッツの建物には、ヒトラーの写真は一枚しかない。それはホロコーストを実行したのは、ヒトラー一人だけではなかったという事だという。第一次大戦後のドイツ貧困、失業。その中で選挙により選ばれたヒトラーは、民主主義で選ばれた元首であった。彼の政策を支持し、選んだのは紛れもなくドイツ国民であったという事。ヒトラーは民主主義で選ばれたのだから、その政策は正当なものだという大義名分で、ホロコーストを進めていったのだという事。確かに選んだ責任はそれぞれ個人にある。それは、民主主義の現代の日本に生きている私も同じなのだ。全ては自分の責任。だからもし間違っていると思ったら、主張しなければならないのだ。今まで気紛れにしか選挙に行った事のなかった自分を恥じる。政治が悪いんじゃない、世の中が悪いんじゃない、選んだ自分が、選べるのにその大切な権利すら放棄した自分が悪いのだ。もし、近隣の国が戦争になったら、きっと難民が日本にもやってくる。その人達を差別することなく受け入れる事が出来るのか。人間的に正しい行動がとれるのか?私達は、このドイツの間違いから学ばなければならないのだ。

ここでアウシュビッツ強制収容所の見学は終わり、次の目的地、ビルケナウ収容所へ向かった。バスで十分程度で到着する。そこは広大な敷地に、あの『白い巨塔』でみた三角屋根のある煉瓦造りの建物が建っていた。この建物の奥に線路が続き、ここで終点となっている。線路の脇には、一両の貨物車が置かれ、花束が供えられていた。私がアウシュビッツ強制収容所の象徴だと思っていた場所は、ここだった。こちらにも様々な国の様々な年代の人々が訪れていた。すると、線路の先からこちらに向かってくる一人の若者が、背中に巻き付けたイスラエルの国旗を片手に掲げ、おどけながら振り回した。彼に一人のお年寄りが話しかける。中谷さんは

「ふざけるのをやめなさい。イスラエル人として恥ずかしい事ですよ。と言ってますね。」と教えてくれた。強制収容所があった場所で、ユダヤ人の若者がふざける事が出来る様になった世の中。不謹慎だけれども嬉しくなってしまう。すると中谷さんは「パレスチナの子供達も…。」とおっしゃった。中谷さんは自分の意見はおっしゃらない。現実に起こった事を解説し、こうなったらどうなるでしょうか?と、常に私達に疑問を投げかけてくれた。私は、中谷さんの自分の意見を押し付けず、考えさせてくれる姿勢に心から感謝した。考える事で、より良い未来にしたい。と具体的に思う様になった。私は中谷さんが、イスラエルの人も、パレスチナの人も一緒に笑える様になる世の中になればいいですね。と言っている様な気がした。ビルケナウ収容所は、アウシュビッツ強制収容所に比べ、見通しが良いのでより広大にみえた。建物は数軒の宿舎が残されているだけ、ガス室もナチスが証拠隠滅の為に破壊し、その残骸がうず高く積まれているだけだ。アンネフランクがいたという宿舎は、あまりにも粗末なものだったが、入口に動物と子供の絵が描かれていて、収容された人々が、これをみて少しでも慰められていたら良かったな。と思う。

見学の最後に、あの三角屋根の塔に登る。この悲しい場所は、あまりにも広い。

「この様な悲惨な場所が、二度と作られる事がない世の中になるよう。考えていかなくてはならない。」

アウシュビッツ強制収容所、そこは想像を絶する悲劇的な場所である事に変わりなかった。訪れる前は、あまりの衝撃に気持ちが沈み食事も喉を通らないのではないか。と思っていた。でも、そうではなかった。自分の事として考え行動しなければならないと奮い立たせてくれる場所だった。自分の国を振り返る機会を与えてくださったガイドの中谷さん、そしてポーランドに、心から感謝します。

ポーランドの国旗は赤と白。日本の国旗と同じ色である。共に第二次世界大戦で国土が焼き尽くされたが、その瓦礫の中から立ち上がった不屈の精神を持っている国である。自分の国の事も、もっと学ばなければ。

八月六日、広島平和記念式典の中継で、テレビに映し出された原爆の慰霊碑をみて、ハッとする。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

ここにちゃんと書いてあった。

「繰り返さない」

その思い、決して忘れないと強く誓った。

概要と評価のポイント
【概要】

これまで楽しむ旅を最優先にしていた作者が、イメージの暗い印象が先行するポーランドを訪問し、アウシュビッツ収容所とビルケナウ収容所を最初に見学する。現地で唯一の日本語ガイドは自身の考えを述べず、現実に起こった事だけを伝え考える時間を与えてくれた。帰国後に広島の原爆慰霊碑をみて日本の平和も願う思いが描かれている。

【評価のポイント】

●重いテーマの作品であるが、現地で唯一の日本語ガイドが、自身の考えを述べるのではなく、現実に起こった事実のみを淡々と伝え、旅行者自身に考える時間を与えるガイド手法に対して、作者自身が読み取った深いメッセージと、それを重くなりすぎないように描かれている点が良い。
●これまで楽しむ旅を最優先にしていた作者が、イメージの暗い印象が先行するポーランドに訪問し、日本の国をもっと深く考え、平和を願う強い思いが描かれている。

※文中に登場する会社名・団体名・作品名等は、各団体の商標または登録商標です。

※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。

受賞作品

  • 受賞地域のいま
  • 受賞地域の取り組み
  • 交流創造賞 組織・団体部門
  • 交流創造賞 一般体験部門
  • 交流創造賞 ジュニア体験部門

JTBの地域交流事業