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田呂丸 麻耶 (旅先:奈良)
次に案内したのは、手ぬぐいなど、日本独特のアイテムが購入できる、スタイリッシュなお土産屋さん。2人に「日本らしいお土産を探したい」とリクエストを受けたこともあって、このお店を選んだ。奈良は「ふきん」が有名だが、このお店は鹿柄や大仏柄など、とても可愛らしくアレンジされた、オリジナルのアイテムが多く揃っている。蚊帳生地仕立てのふきんは、吸水性や速乾性にすぐれているうえ、やわらかな手触りが心地よいということもあり、私も家で愛用していた。外国のガイドブックにはあまり載っていないかもしれないけれど、日本の文化もできるだけ感じてほしいと思い、鹿柄のふきんを一枚プレゼントすると、こちらがびっくりするくらい喜んでくれ、とても幸せな気分になった。この先、たった一枚のふきんでも、使うたびに日本の旅を思い出してくれたらうれしい。
奈良旅行が決まった時、どうしても食べたいものがあった。それは、「かき氷」。どうして奈良でかき氷?と思われる方もいるかもしれないが、夏がとても暑くなる奈良には、美味しいかき氷屋さんがたくさん存在する。私のようなかき氷ファンの中では有名で、ずっと気になっていたのだ。
お目当てのお店は、小さな路地にあり、インターネットの地図で位置を確認しても、なかなかたどり着けない隠れ家的な場所にあった。朝早いからか、行列はまだできていない。店内の窓を見ると「本日、12時までの営業です」と書かれた、一枚の張り紙があった。時計を見ると、11時を回った頃。私たちはほっと胸を撫でおろし、ドキドキしながらのれんをくぐる。このお店の自慢は、「エスプーマのかき氷」だ。「エスプーマ」とは、実はスペイン語で「泡」を意味する。車内で出会ったスペイン人の2人と、ずっと行きたかったかき氷店でエスプーマのかき氷を食べるとは、何という偶然だろう!スペインにかき氷はないので、氷を機械で削ったものに甘いソースがかかった甘味だと、「かき氷」の内容を説明をする。
と、その時、2歳ちょうどになる息子がいきなり「オーラ!(こんにちは)オーラ!グラシアス!(ありがとう)」と会話に割って入ってきた。私たちは、突然の息子の行動にびっくりした。この頃、息子は2歳ちょうどで、つたない日本語をしゃべりはするが、親である私以外が、細かい部分まで理解するのは難しいレベルだった。日本語ではなく、ましてやスペイン語の会話が始まるとは!ちなみに、今までスペイン語をきちんと教えたことはない。ただ、両親が「日本語ではない言語」をしゃべっていることや、会話によく出てきた「グラシアス」を彼なりに聞き取っていたようだ。
私たち4人は驚くとともに、気持ちは言語を超えることを改めて知った。どんな言語であっても、しゃべりたいという純粋な気持ちで相手の言葉に耳を傾ければ、会話はつながっていくのだ。日本語とスペイン語を使い分け、理解していることにも関心した。楽しそうにグラシアスを連呼している息子を見て、皆に笑顔がこぼれる。
気持ちがほっこりとしたころ、とろりとしたヨーグルトのエスプーマがたっぷりとかかった、それはそれは大きなかき氷が登場した。一番上には、真っ赤でつやつやとしたいちごがのっていて、見るからに美味しそうだ。サクっとスプーンをかき氷に入れたら最後。とろけるような冷たい誘惑に負け、私たちは会話を中断し、無言でスプーンを口に運んだ。あっという間にお皿は空になり、「日本に【かき氷】という美味しい食べ物があることを初めて知りました。スペインにないのが残念」と彼らは感想を述べた。初めての日本旅行で、泡のかき氷を食べる経験は、なかなかないかもしれないが、よい思い出となったらうれしく思う。
最後に、皆で興福寺へと足を運んだ。奈良を象徴する、圧倒的な美しさ。私たちは、五十の塔の前で立ち尽くすと、お互いどちらからともなく、記念写真を撮ろうと提案した。道行く人に撮影を頼み、レンズが私たちに向けられると、全員が自然と今日一番の笑顔になった。約1万キロ以上離れている日本とスペイン、数字だけ見るとその距離は遠い。しかし、写真を見れば、いつでもあの時の楽しさや感動を思い出すことができる。息子は、その時の写真を見るたびに「オーラさん、楽しかったね!また行きたいね!」と私たちに興奮気味に話しかける。お互いにとって、非常に思い出に残る一枚となった。
距離だったり、目的地だったり、人であったり、いろいろな表情をみせてくれる「旅」。今回のように電車で隣あっただけ、という偶然から始まる素敵な出会いもある。スペインと日本の縁は、かけがえのない思い出を生んでくれた。もし、あの時、あの電車、あの車両に乗らなかったら…。実は、身近なところに、宝物は存在しているのだろう。何も特別なものではなくて、毎日を旅するような気持ちでいれば、さらに人生は広がるかもしれない。
今回、スペイン人のご夫婦と短いながらも一緒に旅をしたことで、たくさんの気づきがあった。今でも、メールを通して彼らとの交流は続いている。距離は遠くても、すぐに気持ちを伝える手段があるというのは、喜ばしいことだ。息子が大きくなって、いつかスペインを旅した時、どんな景色が見えるのだろうか?
近年、外国からの旅行者が急増している日本。来たるオリンピックに向け、さらなる増加が見込まれる。今までの旅で、多くの人からいただいた親切をどれだけ返せるか分からないが、できるだけ日本を楽しんでもらえるよう、私は微力ながら民間レベルでサポートしていきたいと思っている。
3人の家族旅行で奈良に向かう車内で偶然スペイン人の新婚カップルと出会う。夫婦とも中米の「グアテマラ」でスペイン語留学の経験があり、新婚旅行もスペインであったことから親近感が生まれ、5人で行動を共にする。作者自身も海外の旅先で受けた親切をこの出会いで恩返しすることで距離を超えた心の交流にも繋がった。
●予定していた行程ではなく、偶然の出会いや突発的な出来事が印象に残る場面の描写が多く、スペイン語が堪能なことで偶然の出会いや出来事が起こることによる、本質的な旅の楽しさが表現されている。
●旅先で、困っている外国人に勇気をもって声をかけたことから生まれた、微笑ましい体験談である。帰国後にも、訪日外国人旅行者が増加する奈良で、寺社仏閣等の観光地を巡るだけではない、地元のお菓子や体験による新しい旅の楽しみ方を、来訪者に案内するようになった体験は、これからの日本に重要なことでもある。
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