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柴 茜 (旅先:北海道)

子どもたちの世界は、ふんわりとやわらかなようでいて、シビアで弱肉強食だ。
図書館『絵本の館』で地域おこし協力隊の二人と別れてから、館内の『ごっこはうす』でご満悦で遊んでいた娘は、明らかに自分より体の大きな小学生たちがそこを使おうとすると、さっと場所をあけ渡した。
彼らは、ここはいつも私たちの場所だからと当然という様子で、娘のことなど気にもとめずに遊びはじめる。
「トントン、中で私も宿題やってもいいですか?」
「いいよ、どうぞー」
そんなやり取りが聞こえたかと思うと、
「こんなことすると親が心配するでしょ、だめよ」
と自宅での大人の言葉を真似ているらしい、子どもらしからぬセリフも聞こえて、思わず顔がほころんでしまう。
しばらくすると今度は犬役になった男の子が「ワオーン!」と吠え、床に手足をついて書棚の間を駆け回っている。人間って四足歩行で、こんなに速く動けるんだ!本当に動物みたい、と思いながら見ていると、いつの間にか子どもたちの集団は『ごっこはうす』から離れて遊んでいる。
娘は、やっと自分の番だ、と言わんばかりの嬉しそうな顔をして、中へ入ろうとした。
そこへ突然、男の子が至近距離に迫り、娘に向かって「ガオ!!」と大声で吠えたのだ。
娘はびっくりして泣きそうになった、その瞬間だった。
「この人ほんとの犬じゃないよ!人間だから大丈夫だから、ね?」
女の子が娘を安心させようと、声をかけてくれた。
「ねぇあっちいこ!」と、驚くほど自然に娘の手をとり、十万個の小さな木のボールでできた砂場に向かって歩き出す。娘も、抵抗なくついていく。
子ども同士の本能的な共鳴はすごい。ついさっきまで遠巻きに見ていた、小さなお兄さんお姉さんの輪の中に、娘は一瞬で溶け込んでいった。

子どもたちによると、児童数が少ないため、異年齢同士でもよく遊ぶという。先ほど娘の手を引いてくれた女の子は、「ちょっと待ってて、絵本借りてくる!」と言うと、あっという間に一冊抱えて戻り、平仮名と片仮名を覚えたての一年生らしく、一文字一文字をたどるようなゆっくりとした口調で、娘に読み聞かせてくれた。娘も静かに耳を傾けている。
ふと横を見ると、別の子たちが滑り台の表面に、しきりに木のボールを敷き詰めている。
「何してるの?」と尋ねた私に、「面白い滑り台だよ!」と彼らは言った。なるほど、ボールをのせることで、より勢いよく体が滑るのだろう。いつもここで遊んでいる地元の子どもたちだから知っている遊び方だ。男の子の妹だという小さな三歳の女の子までも、一生懸命ボールを拾う手伝いをしている。
やがて準備がととのった。
早く娘を滑らせたくてたまらない子どもたちの表情は期待に満ち、始点に乗せられた娘もわくわくしているのがわかる。
幼いなりに、自分のための皆の尽力を理解しているのだろうと思った。
「それー!」の掛け声で娘が滑ると、子どもたちから歓声が上がる。
娘も声を上げて笑っている。本当に幸せな光景だった。
「ねぇ、長野県って知ってる?私たち、長野県から来たんだよ」
子どもたちに尋ねると、「知ってる!だって僕、東京行ったことあるもん!」、一人の男の子が自慢げに答えてくれた。
実際、私たちの住む町から東京は、特急を使っても三時間以上かかるほど離れている。けれど、剣淵の子どもたちからすれば、本州にある東京と長野は距離感としては同じなのだろうな、と思いほほえましかった。
そうこうしているうちに、一人、また一人と、母親が迎えに来て、子どもたちが帰っていく。帰り際に男の子が、「また来てください!火曜日ならいると思うから!」と、私たちに向かって笑顔で言った。
「遠く離れてしまうからもう会えない」ではなくて、「また明日!」とでも言うような、軽やかなお別れ。
「うん、次の火曜日に、また会おうね!」と、言えたらいいのに…。胸がいっぱいで言葉につまった私は、「ありがとう!」と返すので精一杯だった。
閉館時間になったので、残っていた女の子と外に出る。駐車場に停められた、ピンク色のヘルメットがかかった自転車を見て、彼女が自転車通学なのだとわかった。迎えを待つ必要もなく、いくらでも早く帰れたのに、最後まで私たちに付き合ってくれたのだ。
彼女は自転車を押しながら何度もこちらを振り返って手を振り、私たちの姿が見えなくなる駐車場の端で、もう一度振り返って最後のさよならをしてから、自転車にまたがり走り去っていった。
母娘二人だけになってがらんとした広い駐車場に立つと、名前も聞けなかった子どもたちとの時間は、なんだか夢のようで信じられない。
それでも、共に過ごしたひとときは確かに、絵本を読んだ後のような心の温もりを、私たちに残してくれていた。
翌朝旅館を発つとき、おかみさんとご主人に「きっとまた来ると思います」と伝えると、「あーもうそれはなんぼでも、またぜひ来てください!」と、笑顔で見送ってくれた。
この町での出来事を振り返りながら小学校の前を通り、「ありがとう」と小さくつぶやく。
今日も空は青く澄んで広い。
旭川方面に向かって車を走らせていくと、ここまでが剣淵だ、ということを示す看板のある町の境が来る。
涙で少し視界がかすんだ。
自分がふるさとと呼びたいほど愛おしい場所が、ふるさとからこんなに遠く離れたところにできるとは思わなかった。
帰宅すると、いつも通り、娘を寝かしつける準備に追われる。帰路でぐずってばかりだった娘は、体力の限界をむかえてパタリと眠りについた。
旅で使った服を洗うために洗濯機をまわす間、デジカメで撮影した北海道での写真をテレビ画面に映してみる。
ほとんど私がシャッターを押していたので、どの写真も、写っているのは、娘、娘、娘…あ、私だ。
娘に負けないくらい、生き生きと笑っている自分が、そこにいることに驚き、静かに感激した。
体はくたくたのはずなのに、不思議なすがすがしさで、なかなか眠気は襲ってこない。
深夜零時、部屋の灯りを消し、目を閉じた。
風景の色、出会った人たち、乾いた空気…。遠く離れた地で過ごした、娘と私しか知らない特別な夏休みを、愛おしむように思い返していく。
まぶたの裏に、レモン色の花がさわさわと風にそよいでいる様子が映し出される。
自分がその場所に立っているような感覚になって鼻から息を吸い込むと、寝苦しいはずの夜に少しだけ、乾いた涼しい風が吹きぬけた。
かつて映画で見た田園風景の剣淵町がふと脳裏に浮かび、気が付くと幼い愛娘と母の二人だけで夏休み旅行に出かけていた。絵本で町おこしの町にふさわしい風景と地元の方から歓迎を受け、現地の子供達と遊ぶ娘の成長を目の当たりにする母。帰宅後もその余韻に浸っている。
●かつて映画で見た田園風景がふと脳裏に浮かび、母と愛娘の二人だけで往復3000キロも離れた北海道(剣淵町)に出かけていたという「旅の時間の流れ」と「一緒に旅行している気分」を感じさせる作品である。又、このような旅行に是非行って欲しいという気持ちにもなる。
●絵本で町おこしという特徴的な町の風景が写真を見ているように感じる事ができ、まちのPRに一生懸命になっている地元の方や市役所の方の歓迎からも温かみが伝わってくる。現代社会の中で遊ぶ子供達とは違う地域で、日常の自然な遊び方も目に見えるように描かれている。
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