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イスラム教の礼拝告知、アザーンに包まれる街 シリア・ダマスカス
−ウマイヤ・モスクのアザーン朗唱−

宮森 庸輔 
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イスラム教の礼拝告知、アザーンに包まれる街 シリア・ダマスカス−ウマイヤ・モスクのアザーン朗唱−の写真  当時は、自動車などの発する騒音が少なかったんですよ。だからダマスカスの街はとても静かだった。天気や風の吹き方によって声の伝わり加減は違いましたが、高い建物がなかったこともあって、声は街によく響きました。尖塔に登った朗唱者たちは、自らの両手をメガホンのようにして口にあてて、より声を遠くに響かせる努力もしました。でもいくらそうやって声をよく響かせる努力をしたとしても、それには限界があって、アザーンが届く範囲は限られました。そこで視覚的に礼拝の時刻を知らせる工夫が、このモスクではなされていました。尖塔のてっぺんに黒い革製のエアバッグがあり、それが礼拝の時刻になると膨らみました。膨らんだエアバッグを見た信徒たちは、視覚的に礼拝の時刻を確認し、モスクへと足を運びました。

 僕はモスクの北側の尖塔を見上げた。そこにはその黒いエアバックが設置されていたけれど、それはモスクの敷地の方に向けられていて、街の方には向けられていなかった。もう壊れていて使い物にならないという。少し残念だったけれど、スピーカーからはアザーンが発信され、赤く染まった空をシルエットにして街中に響き渡っていた。

 赤く染まった空。太陽が地平線から隠れた時に見せる、1日を暗闇に覆ってしまう前のわずかな空の色だ。この瞬間をアラビア語では、マグリブ(日没)という。このマグリブ直後に、アザーンは毎日欠かさず朗唱されている。その他に、夜明け前、昼、遅い午後、夜といった風に1日5回、必ずアザーンの響きはダマスカスの街を包み込む。
 毎日、同じ時刻にアザーンが朗唱されれば、調査するのにどんなに楽だろうなと何度も僕は思ったけれど、実際はそうでなかった。そう、アザーン朗唱時刻は太陽の運行によって左右されている。だからその時刻は刻々と変化していて、そのおかげで僕は常に時間をチェックして安宿からモスクまで1日5往復、ひたすら歩き続けた。そのことは僕にとってとてもきついことだったけれど、熱心な信徒や朗唱者にとっては、単なる日常に過ぎなかった。
  きついことばかりでもない。楽しみだってあった。祈りの時をむかえる街は、太陽の位置によってその姿を変えていくのだ。匂いが変わり、人も変わる。その移ろいがとても新鮮で、退屈をしない。昼間に「アッサラーム・アライクム(こんにちは)」と挨拶を交すタバコを売る人は日が落ちた頃には姿を消していた。その代わりに街はぽつぽつと設置された街灯で照らされる。シーシャと呼ばれる水タバコの甘い香りがどこからともなく漂ってくる。
  ある時、僕は赤茶色の街灯の光に寂しく照らされる細い路地に迷い込んでいた。そして体温を拭うような冷気の中で、ぽつりと浮かぶ人の影を見つけた。そこからウードと呼ばれる弦楽器の音が発信されていた。隠していた秘密を少しだけ話すようなあやしく意味深な低音旋律が、孤独に繰り返されていた。僕がカメラを向けると、ヒゲを生やした彼はニッと笑ってポーズをとってくれた。寒く冷え込んだ街にも、温かい出会いの瞬間がぽつぽつと潜んでいる。

3月14日金曜日、朝3時半に起床。もう数週間も続けていることだけれど、やっぱり眠い。相部屋になった旅人を起こさぬようにして、僕は静かにジーンズを履き、ダウンジャケットを羽織った。そして、安宿から外に出た。春になりきれないでいる冷えた風が眠気を一気に吹き飛ばす。日中の活気は全て失われていて、緑色のライトで照らされた小さいモスクの尖塔は街から孤立しているように見えた。何もかもが眠っているようだった。でも、あと30分ほどでこの街は目を覚ますことになっている。僕は旧市街へ足を踏み入れ、モスクに向かった。
3時50分頃。モスク内はまだほとんど誰もいない。住み着いたカワラバトが羽ばたく音が聞えるほど、静まり返っている。僕は木製の扉の前で待った。主礼拝室にはザクロ色の絨毯が約135メートルに渡り敷き詰められていて、コリント式の何本もの柱が高い天井を支えている。また、ハトが飛んだ。等間隔に配置されたシャンデリアが少しだけ揺れた気がした。数分すると白いイスラム帽をかぶったアガワニ氏(72)がやってきて、扉を開けてくれた。
 扉の向こうの部屋は3メーターほどの正方形のこじんまりした空間で、マイクが一本ぽつんと立っている。奥の洗面所で沐浴(ウドゥー)をしたアガワニ氏は、使い古されたタオルで顔や腕を拭いていた。目が合うと、彼は優しく微笑んでいた。シリアで暮らす人々の微笑みはとても素敵だ。
僕はマイクの後ろに陣取って、カメラを回す。朗唱の始まりだ。街が目を覚ます瞬間。といっても、まだ4時4分だ。アザーン朗唱の時刻は4時22分で、あと18分もある。少ししわがれた眠そうな声で、夜明け前のみの詞章朗唱が響く。

アッラー以外に神はなし、アッラーは唯一であり、彼に倣うものはいない

1年前の金曜日の夜明け前、やはり僕はここにいてアガワニ氏の声を聴いていた。両手を胸の辺りに差し出して、彼は朗唱を続けながら神に懇願していた。

我々を救ってください。全ての大地の我々の神よ。主よ

何も変わっていなかった。明後日の16日に僕はこの街を出るけれど、彼が年を重ね続けていられる間は、何も変わらないのだと安心していた。徐々にボルテージが上がり、声に張りとつやが戻っていた。時計が点滅しアザーン朗唱の時を知らせる。アガワニ氏はアザーンを唱え始めた。でも周りには、僕しかいなかった。
最初、このモスクのアザーンは集団で朗唱されると記したけれど、実は夜明け前の時だけは1人で朗唱されている。金曜日はアガワニ氏が担当して、その他の曜日は熟練した朗唱者が振り分けられている。
1人での朗唱だから、日中の集団朗唱に比べるとメロディーの自由度が高くてとても色彩的に聴こえる。微妙に揺らぐ音に聴き入っていると、夜明け前だけにしか付加されない詩句が唱えられていた。

礼拝は眠りよりも良い

何か皮肉っぽい詩句だけれど、眠っている街に足を踏み入れてここまで歩いてきて、この詩句の響きを耳にすると、僕はいつも得をした気分になった。

ウマイヤ・モスクでアザーンを唱えていた人は、確認できただけで26人はいた。アザーンの響きが好きで唱える人や、10歳くらいの男の子もいた。最初このモスクのアザーンは、そういう風に自然に継承されていくのだとばかり思っていたけれど、それは間違っていた。最年長のアリ・シーク氏がアッバッカ氏(29)に対して、何度も同じ節を唱えさせている場面を見たことがある。もちろん楽譜はないし手本となるのは熟練者だけで、その時の両者の真剣な眼差しは今でも焼き付いている。

穏やかな微笑み
親切で優しい人々
いつまでも継承され続けていくアザーン

紀元前3000年頃から人々がこのダマスカスの街で生活をし、今日になってもその営みが絶えないでいる理由が、分かったような気がした。



評価のポイント
礼拝を肉声で呼びかけるイスラム教の宗教行事アザーンを中東シリアのダマスカスのウマイヤ・モスクで調査。閉鎖的な環境でも友人を作り、非常に専門的なところまで追いかけるなど、旅の基本が感じられる作品として評価。

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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。