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トップ > JTB地域交流トップ > JTB交流創造賞 > 受賞作品 > 交流文化体験賞 一般部門 > 悠久の風が吹く…石見銀山遺跡
翌朝、宿屋前の狭い道幅いっぱいに、タクシーがやってきた。女性ドライバーが、この日の一番仕事らしく新鮮な笑顔で私を乗せて出発した。 朝の空気を裂くように、タクシーは道路を独り占めして走った。四十分ほどでシャトルバスの発着所の『代官所跡』に着いた。 そこは大型観光バス、マイカーが駐車できるように、きれいに整備されていた。しかし、それにしても人がいない。早いといっても八時半を回っている。あれ、どうしたのか。私は予想に反した静けさに拍子抜けするやら、ちょっと得をしたような気分になった。 あちらからボランティアの若い男の人が近づいてきた。 「いい天気ですね、今日は空いているんですか」 と聞いてみた。月曜日ではあったが。 「いや、まだ早いからね、でもこれからですよ。今日はバス十七台、来ることになっているんですよ」 と言ってリストを得意そうに広げて見せた。 今度はシャトルバスの運転手さんがやってきた。 「このバスが混むって、聞いたもので早く来たんですが」と私。 「いやあ、これからだよ。きのうは満員で、臨時便も出したんですよ」 同じような返答だ。 そういえば、今通ってきた道でもすれ違う車はほとんどなく、まして人の姿を見かけなかった。人のいない地に人が集まってくることが、この地の人々を喜ばせ、活気付けているのだと思った。 発車の時刻になってもまだ人影がない。 「このバスに乗っていいですか」私は遠慮がちに言った。 運転手さんはにこにこして出発。久々の空いたバスを楽しんでいるように見えた。 あたりは万緑、溢れんばかりの、緑のエキスが飛び散っている。龍源寺間歩(坑道)入り口のバス停まで運んでくれた。その間、十分ほどだった。 人気もない、人家もない山道である。左側のせせらぎの音が大きく聞こえる。うぐいすが澄んだ声で出迎えてくれる。 当時、気が遠くなるような昔、この辺りにはたくさんの人が群がり、生活をしていただろう。煮炊きの煙が立ちのぼり、川の石を足場に洗濯もしていたはずだ。子どもの遊ぶ声もこだましただろう。季節ごとの森の色は、たぶん今と変わらず四季折々変遷し、人々をなごませただろう。夏だ、と思わせるこのにおいも、あたりに漂っていたのであろう。 自然の音のみが支配する中にあって、当然あったであろう当時の人々の生活音が、勝手に私の頭の中で鳴り響いた。 坑道入り口は、丸太で枠組みがされていた。それだけだ。小屋がひとつ建っていた。チケット売り場で、係りの老齢の男性がすわっていた。 「もう、入っていいですか」 念をいれたくなった。私のみで坑道を歩いていいのかしらと、不安のようなものがよぎる。 「いいですよ、内部はちゃんと、朝一番に点検してきましたから」 私は大きく深呼吸をした。坑道は狭い、暗い。まばたきをして感度をあげる。かがんで歩くほどの坑道の内部には、無数のノミの跡が刻まれている。水が滲み出し壁を湿らせている。ひんやりとする。その通路から、右へ左へまた掘り進められた跡がある。人ひとりがやっと入れるほどの狭いものだ。鉱脈が見つかると、指令がかかり、縦横無尽に掘り進めたのだろう。 どんな道具で、どんな格好で力を振るったのだろう。明かりは、水は、食糧は、いろいろな思いがよぎる。さらにどのようにして運びだし、それを港まで、どんな手段を使い、はたまた外国へと送り出す・・・。一気にいろいろなことが、交錯する。 時は室町時代。鉄砲が伝来した時代と重なる。世界の三分の一の銀を産出した記録がある。代官がいて、坑夫は働かされた。朝も夜もなく。当時、この地には三十万人ともいえる人々が群がっていた。掘っても、掘っても尽きることのない、宝の山があった。しかし、その栄華を人々はどのくらい感じることができたのだろう。三十歳まで生きられると祝ってもらえたという記録は、もろもろの想像をかきたてる。 私の足音が今、坑内に響く。うしろを振り返ると、無数の汗まみれの人たちが追いかけてくるような、不気味な騒音が鳴り響いていた。 かがみ通した先に、本物の明かりが見えてきた。出口だった。腰を伸ばし、大きな空気を吸った。うまい。こんなに美味しい空気がある。この空気を当時の人も存分に味わっただろうか。申し訳ないくらい美味しい空気を私は改めて吸いなおした。 振り返ると間歩は何事もなかったように、枠組みだけを残し、山の中腹に静かに佇んでいた。まわりの森林に守られて、ずうっと悠久の風に吹かれていたのだ。 帰り道は、これから間歩に向かう大勢の人が、ぞくぞくとやってきていた。たくさんの人に来て欲しい、当時、ここに住んでいた人の数を上回るぐらい。私はいつの間にか、銀山を想うひとりになっていた。 それからまもなく、石見銀山遺跡が世界遺産に登録されたというニュースが流れた。 ああ、やっぱり、と人ごとではない親近感をもった。温泉津温泉の仲居さん、当主、駐車場で出会ったボランティアの男性などの面々の笑顔が浮かんだ。 遺跡をとりまく自然も評価の対象となったとも伝えられた。確かに私が見たものは、自然まるごとの石見銀山だったような気がする。観光地としては、まだまだ隠れたものがたくさんあるはずだ。見学できる間歩をもっと整備して欲しい、あるいは、歴史を浮き上がらせて当時の生活と結びつけて欲しいなど、人の手が入る余地はたくさんあるような気がする。しかし現状の銀山に触れた私は、今だからこそ、盛りだくさんの思いを寄せ、想像をかきたてることができたのかもしれない。 まさに注目に値する世界遺産、石見銀山。いつまでも中世の真髄は、しっかりと残しておいて欲しいなどと、つい願ってしまう。