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林芙美子と歩く尾道の旅
藤川 堯子
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  過去にどれだけ多くの芸術家たちが風光明媚な尾道を訪れ、あるいは留まって心を癒され潤されたことか。作家志賀直哉は、当時所属していた『白樺』のありかたへの居心地の悪さや父との不仲から東京を離れ、友人が褒めていたという尾道に移り住んだという。住まいは千光寺山の中腹にあり、『暗夜行路』に登場する三軒の小さな棟割長屋そのままの部屋で、六畳と三畳に台所のつつましいものだった。彼は尾道の風土に癒され、人々とのふれあいを通して次第に心をなごませ、やがて父との和解をみることが出来た。尾道で過ごした優しい時間を、『暗夜行路』の中に次のように書いている。
“六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。其の頃から昼間は向島の山と山の間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光りだす。それはピカリと光って又消える。造船所の銅を熔かしたような火が水に映り出す。”
  小説の文中にもあるが、旧居からは尾道水道の向こうに造船所や山の中腹の石切り場跡をながめることが出来た。お世辞にも住みやすい快適な住居とは思えないが、ここに来ると何かから逃げてきた者を包み込み許容する心安さが感じ取れる。
  「まあしばらくここで暮らしんせえ。それからゆっくり考えりゃええが」
  そんな地元弁の人情だろうか。温暖な気候のせいだろうか。
  五年ほど前に、直哉の旧居の隣長屋に設けられていた芙美子の書斎が、先ほど見てきた瀟洒な一軒家に『芙美子の文学室』として独立して設置された。
  芙美子たち一家は北九州でスッテンテンになって、当時繁栄の噂の高かった尾道へ流れ着いた。尾道での生活はその日暮らしの行商で生計を立て、借金に追われながら間借りを転々としていた。芙美子が尾道に住んだ期間は小学生から高等女学校を卒業するまでだったが、東京に出てからも、仕事や金や男に行き詰る度にふらりと尾道に舞い戻った。母や、恩師、友達を頼ってしばらく充電し、再び東京に帰っていった。
  私は初めて尾道を訪ねたとき、商店街で偶然見つけた『芙美子』という喫茶店に入って遅い昼食のカレーを食べ、食後のコーヒーを取った。店の奥の小庭を挟んで、当時芙美子たち一家が間借りしていたという建物が保存されているというので覗いてみた。天井の低い、まるでテレビか映画のセットに迷い込んだようなレトロな木造の二階家で、危なげな階段を登ると、狭い六畳間が一間きりで、そこで親子三人が一つ布団に寝泊りしていたという。芙美子を真ん中に互い違いに一つ布団に入るのである。私は其の狭さにおどろきながら、そういう身軽な流れ者生活にどこかで憧れる心もあった。
  この家は芙美子たち一家が尾道に落ち着き、宝土寺の間借りの次に移り住んだ土堂町本通り宮地醤油店の二階間借りの家だった。女学校時代の間借りは、同じ土堂町海岸通のタバコ店の二階で、脇の小路はNHKの連続テレビ小説『うずしお』完結以後うずしお小路と呼ばれるようになったが、芙美子のいた当時はえびや小路と呼ばれた。当時を知る人は、このえびや小路を、母キクが高髷を結び、利休下駄を履いてせかせか歩いていた姿を憶えているという。短歌や詩を投稿し始めた女学校卒業間際は、土堂町中浜通りの帆布店倉庫の二階。女学校卒業と同時に、大学に通う初恋の相手岡野軍一を頼って上京、同棲するも婚約を放棄される。東京で職を転々とし、二十三歳の夏失意のもとに、宝土寺下付近に間借りしていた母の元に帰って、尾道を舞台とした『風琴と魚の町』を書き上げた。
  執筆中、狭いあばら家の暑苦しさや借金取りのうるささから逃げて、夜の浜に出て雁木に座り込んで涼む日々だった。時には腰巻一つになって、雁木から商船桟橋まで泳ぐ。そんな時この海で男友達とボート遊びに興じた女学生の頃のことが思い出されて仕方がない。海の向こうには初恋の岡野の住む因島があった。
“雁木まで泳いで帰り着くと、モウレツに激しい恋がしたくなる。男の思い出がちらちらする”
と『放浪記』に芙美子は書いている。
  このように尾道は芙美子にとって、旅の古里であり、逃げ込むための場、そして出発地点でもあった。
  ホテルの熱めのお湯に身体を沈めると、当たり前の何でもない生活が有難く思えてくる。旅は心の錆を落としてくれるものだ。明日は心も軽く母に会いに行こう。母はすっかり寝たきりになって、流動食を一時間も掛けて食べるほど衰えてしまったが、生きていてくれるだけで私の励みになっている。母に今回の素敵な旅のお礼を言いたい。


評価のポイント
 旅行の先駆者でもある林芙美子を遠くに見ながら、母親の人生、林芙美子の人生、自分の人生が尾道の情景や地元の方との交流とともにさりげなく表現できている。

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※賞の名称・社名・肩書き等は取材当時のものです。