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JTB交流文化賞

第12回受賞作品発表

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交流文化賞 一般体験部門

第11回 JTB交流文化賞 受賞作品

最優秀賞

ユンヌの海

大久保 泰裕

台風が南の風を運んでくると何をしていても思い出す。鹿児島の南方五百六十キロの洋上に浮かぶ、かつて日本の最南端だった小さな小さな島のことを。

私の通っていた小学校と与論島にある三つの小学校とは姉妹校だった。
両校は毎年、生徒を招いていて、私は四年生の時に一度だけ、その島から来た男の子と机を並べた。

私は島の紹介のスライドで見た、お伽話に出てくる様な島に胸を踊らせ、そこから来た彼にもピーターパンに出会えた様な感覚を受けた。どうやって仲良くなったのか、もう覚えていないが、結果的に僕とM君は体験入学中の数日間で一番の仲良しになった。
お別れの前日、交換した名札は、僕らの友情の証。宝物だった。
しかし思い出が新しい日々に埋められていった様に、名札も宝箱と共に机の引き出しの奥へと沈んでいき、思い出すこともなくなっていた。

ところが中学二年の時、元気だった父が突然、多発性骨髄腫と診断され、余命三ヶ月と告げられた。医者は入院を勧めたが、有効な治療法は無いと聞くと、父は私達に家族四人で過ごせる最後の思い出を作る道を選んだ。

「最初の家族旅行は南の島にしよう」その言葉が引き出しの奥底に埋もれていた色褪せた名札の記憶を甦らせた。
名札を見せ、こんなことがあったと父に話すと、「じゃあその子がお前のことを覚えていたらそこに行こう」と、名札の裏に書かれていた番号に電話を掛けてくれた。
声は変わっていたが懐かしいM君の声が受話器から聞こえてきた。
父は与論島行きを決め、私達家族は羽田から沖縄、そして与論島に向かう。
私達の旅は、父との残り少ない時間を過ごす為のものであったが、幼い弟にはそのことを隠しての悲壮なる旅だった。

眼下に見えるエメラルドグリーンの海が近付き、赤土の大地に飛行機が降りる。タラップが降ろされ、塩分を含んだ潮風が機内に流れ込む。飛行機を一歩出ると色が見えそうなくらい強烈な陽射しが私達を迎えてくれた。

与論空港は田舎の公民館の様な作りの小さな平屋建ての空港で屋上が送迎デッキになっている。
一歩ずつ建物に近付いていくとデッキの手摺りに掛けられていた横断幕の字が見えてきた。
「歓迎大久保ファミリー様」そう書かれた横断幕の下を通って建物に入ると、ゲートの前には教育長さんをはじめ、多くの島民の方々が出迎えてくれた。
思い掛けない歓迎に戸惑いながら挨拶を交わし、宿泊先のホテルまで送ってもらった。

夕方にはホテルの庭で、体験入学で来ていた子達やその家族、友達が集まって歓迎会を開いてくれた。
自己紹介から始まった会は、M君との再会、歓迎のエイサー踊り、バーベキューと流れ、子供達が次々と海へと飛び込む歓迎も行われ、勿論、私もその洗礼を受けた。

夕陽が完全に海へと沈んだ午後八時、まだ明るさの残る中、参加者全員による童謡『ふるさと』の大合唱で会は終了となった。

翌日は、M君のお母さんが迎えに来てくれて島内観光をした。
車で島を一周してから与論城跡に登り、沖縄本島を眺めながら沖縄戦の悲劇を聞いた。この海と空との境界が分からない程、澄み切った美しい場所で、かつてそんなことが行われていたと知ってショックだった。

道すがら昨夜会った人とすれ違うとニッコリと笑って話し掛けてくれたり、剪定中の砂糖きびを切って渡してくれたりした。ほのかな甘味を感じる砂糖きびをくわえながら、車窓から入ってくる赤く乾いた風を浴びる。島の風は砂糖きび畑を這うように吹いていた。

三線の音が聞こえてくると鍾乳洞は近い。鍾乳洞は広いとは言えないが、この島が珊瑚で出来ていることを教えてくれる。赤崎鍾乳洞の向かいには民俗村があり、そこの古民家で三線が弾かれていた。

観光が終わると家族で寺崎海岸に行き、誰もいない珊瑚の海を泳いだ。
光と波と珊瑚とが紡いだ幾重もの幾重ものカーテンを父と弟の三人で沖に向かって進んでいく。シュノーケルを着けたゴーグル越しに見る海はとても澄んでいて海に溶け込んだ空を飛んでいるような気がした。
塩分濃度が濃いので、ひとしきり泳いだ後は空を見ながら波のない鏡面のような海を漂う。するとどこから生まれるのか、コポコポという泡の音が聞こえた。ただの泡の音なのに、とても心地の良い音だった。
冷えた体は太陽が優しく包み込み、海水で乾いた口は、母がくれた凍り砂糖が癒してくれた。

この日の夜も島の反対側の漁港で歓迎会が開かれ、おばさん達が作ってくれたハリセンボンの味噌汁をはじめ島の伝統料理が並んだ。子供達と突堤から海へも飛び込んだ。
「魔除けに」と、スイジガイという貝をわざわざ捕ってきてくれた人もいた。
二日目にしてホテルの部屋の机の上は与論の人達からの温かな気持ちで一杯になった。
綺麗な海とゆっくり流れる時間、そしてそこに住んでいる本当に温かな人達、それはなにものにも代えがたいこの島が育んだ宝物だ。
私達が東京から持ち込んだ現実の悲しみや辛さといったものは意味を持たないものになっていた。事実、父さえも病気のことを忘れ、楽しんでいたと思う。

三日目には、小学生の時、スライドを見て憧れた百合ヶ浜に渡った。
与論島は、その形から鯨に例えられ、干潮の時にだけ現れる百合ヶ浜は子鯨なのだそうだ。
この島は星の砂で出来ていて、私と弟は島の人から貰ったガラスの小瓶にその砂と思い出を詰めた。
この日も観光客のいない寺崎の海に行って、日が暮れるまで家族四人で遊んだ。明日の夜は東京にいるだなんて信じられない。

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