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JTB交流文化賞

第12回受賞作品発表

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交流文化賞 一般体験部門

第9回 JTB交流文化賞 受賞作品

優秀賞

命のリレーを追いかけて

舟橋 ひとみ

『「ありがとうございました。」といって私の目をじっと見てね、ぎゅっと手を握ってくださいましたよ。大きく厚い手でした。あのとき、デッキから眺めたユダヤ人のような大きな手でね。熱いものが込み上げてきましたよ。』受話器ごしに伝わってくる、今村繋さんの感慨深げな声を聞いて、この旅は私にとって人生最高の旅になった。

1940年第二次世界大戦直前、ナチスドイツの凄惨な迫害を逃れた数多くのユダヤ人が、杉原千畝という外交官の発行した査証で命を救われた話は『命のビザ物語』としてたくさんの人の知るところとなったが、杉原ビザ物語はその後たくさんの誇れる日本人の手によって繋がれた「命のリレー」のスタートにすぎなかったのだ。

リトアニアの杉原千畝から始まった命のリレーは、ウラジオストックの根井三郎を経由して、ジャパンツーリストビューロの高久甚之助、大迫辰雄へと繋がり、福井県敦賀市の名もなき市民達へとバトンが渡された。その後、小辻節三という学者の手を経て日本郵船がアンカーを飾った。

2013年4月13日時代を超えた旅に出るために、1940年の日本郵船「楽洋丸」でユダヤ難民のための食事を作った料理人今村繋さんに会うために、三重を出た私は東京行きの新幹線に乗った。向かった先は渋谷のユダヤ教会、73年前「日本人が繋いだ命のリレー」に助けられたユダヤ人達の集う場所だった。

この日、ユダヤ教会では「命のビザ」によって救われたユダヤ人達のその後と、杉原千畝を陰で支えた日本人達に光を当てた作家北出明氏の講演会が行われた。主催者は日本ユダヤ教団。そして講演会の後には1940年当時、日本郵船「楽洋丸」でユダヤ難民に出された食事メニューを再現して、船上料理人今村繋さんにユダヤ教団から(ユダヤ人を代表して)感謝の気持ちを伝えるという粋な演出が待っていた。

この粋な演出は、私の思いつきをユダヤ教団の会長ローゼンフェルド氏と作家の北出明氏が実現してくださったものだ。

2012年の夏、北出明氏の『遥かなる旅路』という一冊の本に出会った私は、あまりにも有名な杉原ビザ物語にその後があることを知り、それにはたくさんの日本人が関わっていたことを知り、日本人が繋いだ「命のリレー」の虜になってしまった。

幸運にも、北出氏の講演会を実現できることになった私は、その年の12月北出氏から直接話を聞く機会に恵まれた。

私と同じ三重県出身だという北出氏は、とても気さくな温かい人で「命のリレーを後世に語り継ぐ」といういわば新しいバトンを持って走り出した人だった。

さて、その『遥かなる旅路』の最後のあたりに「若き料理人の使命感」という頁が出てくる。

旅の楽しみの一つに食事があるが、食べるという行為は命そのものだと思っている私にはこの頁が一番興味があり、「料理人の使命感」というのがまた命のリレーのアンカーに相応しいと感じた。

「日本郵船の料理人は、ユダヤ難民にどんな料理を振る舞ったのだろう。」気さくで温かい北出氏に出会ってから、私に芽生えた好奇心は日増しに大きくなっていった。『遥かなる旅路』の中だけでは満足できなかった私は北出氏の気さくな人柄に甘え、次々に質問を繰り返した。

中でも第二次世界大戦直前の日本の食糧事情とユダヤ難民に出された料理のメニューについては、当時日本郵船「楽洋丸」でユダヤ難民のために腕を奮った料理人今村繋さんから話を聞かせていただくという、願ってもないチャンスに恵まれた。

今村さんからの話は、すべてが電話によるものだったが、受話器ごしに聴こえる今村さんの声は90歳を過ぎたという年齢を感じさせない瑞々しい声だった。

「ユダヤ難民が船に乗り込んでくる時にはね、頭を上げる人は誰一人としていなかったんですよ。みんなうつむいて、惨めで、みすぼらしくて、どんなにナチ(ナチスドイツ)からひどい仕打ちを受けたのだろうと思ったですよ。栄養状態も悪く、何とか元気になってもらいたいと思いましたね。シスコ(サンフランシスコ港)に着いた時、ユダヤ難民の代表者が料理人にお礼が言いたいといって待っていてくれましてね。いや、結局私たちの作業が長引いて面会できなかったですがね、料理、パン、水、すべてが美味しかったと伝言を残して船を降りて行きましたよ。私たち料理人が作業を終えて船上から外を見下ろすと、(下船したばかりの)ユダヤ人達がコック服の私に向かって手を振るんですね、みんなが顔を上げて笑顔で一斉に手を振るんですよ。それが忘れられなくて。」

初めて聞いた命のリレー当事者の生の声、感動という言葉が薄っぺらいような気持ちになった。

その後も、船上で約120人のユダヤ難民に出された料理がブッフェスタイルだったこと。戦争直前にもかかわらずミルク、砂糖、肉類や玉子に至るまで豊富な食材を船に積み込んでいたこと……などに始まって、ユダヤ難民の乗船料金の全額を食費に充てるよう指示を受けていたこと。料理の変化こそが、日々の船上での退屈な生活を楽しむ手立てであるというテラダマサオ料理長の工夫を凝らしたメニュー。ミヤザキテツジさんというパン焼きの名人が何種類も焼き上げたパンが好評だったということなどを、約10回に及ぶ電話で聞かせていただいた。

臨場感溢れる今村さんの話に思わずどこかから焼きたてのパンの甘いバターの香りがしてきた気がして、船上で温かく美味しい料理を頬張ったユダヤ難民の気持ちを思った。

「今、杉原ビザで命救われたユダヤ人にもう一度今村さんの料理を食べてもらえたら。」

こうして、私の小さな思いつきが北出氏の発案によってユダヤ教団のローゼンフェルド会長へと伝えられた。

杉原ビザで命救われたユダヤ人に今村さんの料理を食べてもらうことは叶わなかったが、北出氏の「遥かなる旅路講演会」の後で「ユダヤ難民に出された船上メニューを再現した食事会」という形で実現できることになっていった。「講演会、船上メニュー再現」を一度に引き受けて主催者となってくださったユダヤ教団のローゼンフェルド会長もまた、北出氏と同じ「命のリレーを後世に語り継ぐという新しいリレー」のメンバーだった。そのローゼンフェルド会長が、一番最初に私に聞いた一言は「この食事会に今村繋さんに来ていただくことはできますか。」だった。

それは、遥か昔から受け継がれてきた民族の文化と、数多くの同胞の命を救われたユダヤ人の一人として、何とか今村さんに感謝の気持ちを伝えたいという熱い想いのこもった一言だった。

こうして迎えた2013年4月13日地元三重を出て、東京に着いた私は北出氏と合流してユダヤ教会に向かった。迫害という大きな試練からは想像もつかない、明るくて広い佇まいのユダヤ教会に73年という歳月を感じながら、案内されるままに談話室のような場所に入った。

「舟橋さんはじめまして、今村です。」背筋をしゃんと伸ばし、背広姿の老紳士が杖を片手に私に手を差し出してくれた。今まで何度となく話を聞かせていただいてきたその声が、随分懐かしいような気がして、思い描いていたほどドラマチックな対面劇にはならなかった。

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