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シルクロードを陸路で走破!春の新ユーラシア大陸横断 12,000km 50日間バスの旅


新ユーラシア大陸横断バスの旅へようこそ!! 2016年1月13日発 中米・メキシコ縦断 19日間 コース詳細 今後のツアー予定
2016年1月13日発 中米・メキシコ縦断 19日間 ツアーレポートはこちら! 過去のツアーレポート
最終更新日:2015年6月9日





ご参加のお客様の声

「春のユーラシア大陸横断50日間の旅」に参加して

2012年にこのツアーが再開された時に、新聞記事に掲載されたのを見て、何時か参加したいと思っていました。両親の介護が終わり、自分が介護状態になる前にと思って、会社を一旦退職して今回参加しました。
今ツアーが終わり、このタイミングで参加して良かったと思っています。
20年の経験のある二村添乗員、地元事情に精通した地元ガイド、安全運転に徹した運転手と正にチーム二村とJTBの総合力で充実した旅を満喫できました。

天候に恵まれ、観光地で雨に降られたのは1回のみ、体調も2、3日お腹をこわしたがあとは極めて順調でした。 日本にいる時と同じように、毎朝の携帯体重計での体重管理、ラジオ体操第一・第二、ゴルフボールを使った足裏マッサージ、加えてバスによる適度な揺れ、平均1万歩の観光、体調に配慮した日程等で体調を気にすることなく観光に集中出来ました。

シルクロードに関する社会人講座も受講して参加しましたが、「百聞は一見に如かず」です。
中央アジア、イラン、トルコにステップがこれほどあるとは驚きでした。
チンギス・ハンが大帝国を作ったのがよく分かります。
イランや中央アジアが親日的であるのも驚きでした。
日本では経験できない若い女性との写真も良い思い出です。

旅行中玄奘三蔵が歩いた急峻な山々も通りましたが、舗装された道をバスで行く自分はシルクロードに行ったと言えるのか複雑な気持ちになると共に改めて玄奘三蔵の偉大さを感じ入った次第です。
現地を見て改めてシルクロードの書物を読めば理解が深まることと思います。

世界遺産に興味のある私ですが、印象に残った所は下記の場所です。
炳霊寺磨崖仏と一帯の風景、嘉峪関、五彩城、天山山脈、サマルカンドブルー、イマームレザー廟、ペルセポリス、ワン湖からのアルメニア教会と雪山風景、お花畑、ボスポラス海峡大橋を渡りヨーロッパに入った時等

食事はバラエテイーに富んだ中国料理や昼食時に地元の人が利用するレストランも印象に残っているが、玉門関でのおにぎり、黒海を見ながらの魚フライ、二村さんお手製のカレーも大変おいしかったです。
50日間刺身と寿司のない食事とイランでの禁酒は貴重な体験でしたが、帰国後すぐに寿司屋に行きました。

男性陣と比べて女性陣の健啖ぶりとお元気なことは驚きでした。男女で平均寿命に差があることは納得出来ました。

シルクロードに興味のある人には是非このツアーを勧めたいと思います。

二村さんとJTBに感謝したいと思います。

現地レポート

日程0日目 2015年3月30日(月)
東京

バタバタと春がやって来て、アタフタと出発の準備をしています。
また「春のユーラシア大陸横断バスの旅12,000km50日間バスの旅」(西安〜イスタンブール)の季節が巡ってきました。今年は終着点をローマからイスタンブールに、日程を60日間から50日間に変更しています。

3年連続の4月1日出発。特に今年は春の訪れが早く、桜の満開にも間に合いました。
桜が見られた事でどこかホッとするのは、日本人の共通の気持ちではないでしょうか。

「ユーラシアの旅?特にイランは大丈夫?」と言う、質問を多く受けます。しかしイスラム教徒が多数を占める国の中で、実はイランが最も治安がいいのです。そんな現地からの生のリポートを1週間に2回(火・金)、お伝えしていきます。併せて、ご参加者10名(男性6名、女性4名)の方々の写真や声もお届けいたします。
乞うご期待。

トルコのチューリップ トルコのチューリップ トルコでもらったチューリップが今春も花を咲かせました。昨年は見ることが出来なかった赤の花も顔を出してくれました。今回も中央アジア、イラン、トルコ、各地で野生のチューリップを探して、花便りをお届けします。
桜並木 赤羽の桜並木 桜は「今までこんな所に桜があったの?」と思うような所でも、突然パッと咲き誇ります。昨今は桜を見るために、大勢の外国人観光客が日本に押し寄せるようになり、名所には人が溢れています。しかし名所以外にも、意外と隠れた見所もあるのです。
ユーラシアの旅では、名所巡りだけではなく、知られざる見所も訪ねていきます。
全線添乗員:二村 忍

日程1日目 2015年4月1日(水)
東京

出発式の様子 出発式の様子

満開の桜とともにむかえた4月1日。集合場所は羽田空港国際線ターミナル、中国国際航空カウンター前。
あいにくの曇り空ではありましたが、今日この日の出発を心待ちにしていた皆様の顔はとっても晴れやか。
集合時間の30分前にはそれぞれ搭乗手続きを終え、全員集合。今回のツアーは二村添乗員とお客様10名の11名で出発です。

出発前には全員で集合写真を撮影。
和気あいあいとした雰囲気で出発式の部屋へ。

出発式ではJTBの小野、小河からの挨拶にはじまり、二村添乗員より自己紹介と諸注意、そしてご参加の皆様より自己紹介とツアーへの期待を一言ずついただきました。
今回も現地の人々の営みや歴史に興味のある方が多く、このツアーにかける思いは皆それぞれ。
なんと今回のツアーに参加するために、出発前日、3月31日に会社を退職された方がお二人も!
シルクロードへの熱い思いとツアーに対する意気込みを皆で共有しました。

最後に、ご参加の永田さんが「みんなで無事に50日間を完走できるように。」と台湾のお守りを配ってくださり、一致団結。50日間の旅が、安全で楽しく、そして皆様の期待を超えるものとなりますよう私たちJTBスタッフも心より願っております。

この現地レポートをご覧になっている皆様も、是非、一緒に旅をしている気分でお楽しみいただければ幸いです。

それでは皆様、お気をつけていってらっしゃいませ!
いざ、西安からイスタンブールへ!!

中国 甘粛省の地図 中国 甘粛省の地図(大陸横断デスクにて撮影) ご参加の皆様に事前にお渡ししている走行ルートの入った地図。私たちJTBスタッフも一緒に、地図上で12,000qを走破します!
全員の集合写真
羽田空港の桜の前で記念撮影
JTBロイヤルロード銀座 大陸横断デスク:小河慶子

日程2日目 2015年4月2日(木)
西安

今年も新しい10人のお客さんが、私をこの地に立たせてくれました。3年連続の春の西安。1年ぶりの西安には外国人観光客が戻り、ホテルや観光地は活況を呈していました。しかし日本人の姿は見当たりません。まだ日本人が戻ってくるまでには、もう少し時間が掛かるのでしょうか。

本日は、兵馬俑、歴史博物館、大雁塔、清真寺と精力的に観光。全員、体力的にも心配なさそうです。大雁塔にも8人の方が登りました。

兵馬俑 西安最大の見どころ兵馬俑は、多くの人で賑わっていました。本物を自分の目で見て、自分のカメラに納める事が可能なのが中国観光の魅力。感動を持ち帰る事ができます。博物館でも、フラッシュを使わなければ撮影可能です。 大雁塔 見る角度、写真を撮る位置によって、建物の印象は大きく異なります。この角度で見れば、まさに大雁塔。雁が群れをなして飛んでいるように見えませんか?
回民街 西安で最もシルクロードの往事を感じさせてくれる回民街。白い帽子を被ったイスラム教徒が伝統を守ってくれたおかげで、この街並みが残りました。 タマリスク羊肉 西安の今年の流行りは紅柳烤羊肉?太い紅柳(タマリスク)の串に刺した羊肉のケバブ。1本10元(200円)。山積みにされたケバブが、飛ぶように売れていました。
全線添乗員:二村 忍

日程3日目 2015年4月3日(金)
西安→平凉

西安を出発しイスタンブールへ。今日から本格的なバス旅が始まりました。ガイドはいつもの閔ちゃんに、運転手はいつもの候さん兄弟。このいつもが意外と難しい。今年もいつも通りに、3人のスタッフが敦煌まで送ってくれます。

今回のお客さんは、中国初訪問が1人、西安初訪問が4人。最近では比較的中国経験者が多いため、みなさん中国に慣れるのも早いようです。1日目にして、あちらこちらで現地の人との交流が始まっていました。

小学校の野外活動 中国では野外活動でも、親がぞろぞろ付いてきます。学校側が責任問題を問われないよう、親の付き添いを義務づけているとか。それでも野外活動を実施している学校はまだましで、遠足、校外学習、修学旅行等を取りやめる学校が増えているそうです。 出発式 今年は出発式を西の城門から唐代の安定門跡に変更し、絲綢之路起点群像前での出発式。例年通り、陝西省国家旅游局邵局長が、送別の辞を述べてくれました。邵局長のご出席も3回目。「またそんな季節になったんですね」と話していました。交流は継続が重要です。
旧道を行く 農道を走れば、まだこんな道が残っています。かつて西へ旅立つ人々に、無事に戻ってくるようにとの思いを込めて。この柳の枝を輪にして贈ったそうです。 交流の輪 日本人と知っていても「はるばるこんな所に外国人が訪ねてきてくれてうれしい」と喜んでくれた火鍋店の店長。女性陣全員と店長+店員との記念撮影となりました。やはり女性の方が積極的です。
全線添乗員:二村 忍

日程4日目 2015年4月4日(土)
平凉→蘭州

終日曇りでしたが、車窓から見える黄土高原の景色に感嘆の声が挙がっていました。おりから中国は、日本の春のお彼岸に当たる清明節の3連休中。お墓参りに出かける人々、休みを楽しむ人々の姿も垣間見られました。

かつては訪れる観光客がいなかった大仏寺。2014年に長安−天山回廊の道路網で、中国22件、カザフスタン8件、キルギス3件、の計3カ国33件が世界遺産に指定。そのうちのひとつとして大仏寺も登録され、中国人観光客も訪れるようになりました。

山一面の杏 西安市内では八重桜、桐、郊外では梨、桃、山では杏の花が咲き誇っていました。荒涼とした黄土高原に咲く花。自然の力強さを感じます。 農村風景 こんな普通の農村風景も、高速道路沿いでは少なくなりました。町や村でも開発が進み、高層のビルが立ち並びます。
黄河 前日の雨で空気もスッキリ、黄河もクッキリ見えました。世界7番目の大河(全長約5,500km)も河口までは、まだ約4,000km。蘭州では青年期の黄河です。 蘭州麺 蘭州麺は朝食のメニュー。夜に専門店で食べるのは難しいため、チェーン店のお店へ。こんな普通のお店での食事も、このツアーの楽しみです。もちろん「おいしかった」との評価を頂きました。しかしビールがないとのご意見もあったので、数人を飲み屋にご案内。
全線添乗員:二村 忍

日程5日目 2015年4月5日(日)
蘭州

下駄を履くまでわからないのが中国。昨年は連休の混雑に巻き込まれたため、今年は早めに出発。予想したほどの混雑もなく、無事にボート乗り場到着。しかしバスを降りたら、今年からボート乗り場が変更になったとの事で、再びバスに乗って道を戻るはめに。結局30分程のロス。もちろん乗り場変更の注意書きの看板など、ありませんでした。それが中国。しかしお客さんも、この大陸的大雑把さに慣れてきたようで、これを「面白い」と言えるようになってきました。これなら、イスタンブールまで大丈夫です。

劉家峡ダムから黄河をモーターボートで遡り、炳霊寺へ。炳霊寺周辺の切り立った岩山に、新緑の木々に、磨崖仏の巨大さに、大感激。そう炳霊寺は、前半のハイライトのひとつです。

新しいボート乗り場 これが新しいボート乗り場。駐車場から船乗り場まで10分。中国では施設が新しくなるたびに、駐車場から観光地までの距離が遠くなります。 唐代石窟 今年から写真撮影可能に。今までは一体何で撮影不可だったのか、意味不明になってしまいました。でも中国では「なぜ?」は愚問です。
炳霊寺磨崖仏 炳霊寺石窟も世界遺産に指定。一昨年まで磨崖仏の修復工事をしていたのは、世界遺産申請のためでした。中国では理由もなく、修復工事をする訳がありません。 記念写真 全員元気に観光中。旅も5日目ぐらいになると、緊張感もほぐれ、旅を楽しむ余裕がでてきます。
全線添乗員:二村 忍

日程6日目 2015年4月6日(月)
蘭州→張掖

黄土高原を抜け、河西回廊へ。長さ約2,000kmの祁連山脈が、オアシスを作り出しています。シルクロードの時代には、金の張掖、銀の武威と呼ばれ繁栄した街も、その後は辺境の地となって衰退していきました。しかし今中国で「新シルクロード構想」が唱えられ、再び活況を呈し始めました。

雪を被った祁連山脈、荒涼としたゴビタン、100kmも続く長城。思い描くシルクロードの景色が連なります。

烏鞘嶺 標高3,000mの烏鞘嶺を貫くトンネル。第1〜第4のトンネルを合わせれば20kmを越えます。第1トンネル付近では雪景色でしたが、第4トンネルを抜けると茶色のゴビタンの景色に変わっていました。 取り壊し 「拆」の字が家に書かれると、取り壊しの対象となった事を意味します。保証金は支払われますが、交渉の余地はほとんどありません。
山丹の明代の長城 昨年と比べると整備された山丹の明代の長城。保護のために修復する事はない中国。来年になれば、観光地として整備する予定なのでしょうか? 食後の写真 今回も一般食堂での食事は大好評。8品+主食(ご飯or麺等)+スープの品数でも、食後は毎食こんな感じです。
全線添乗員:二村 忍

日程7日目 2015年4月7日(火)
張掖→嘉峪関

今回は国際結婚(スウェーデンと日本)のホーヌマルク御夫婦が参加。「マルコポーロは張掖に1ヶ月ほど滞在した」と説明すると「どこかにマルコポーロのモニュメントはありますか?」との質問が。探したところ、街中に2002年建設の像がありました。ヨーロッパ人は、シルクロードと言えばマルコポーロを連想するようです。別の視点が加わり、私たちが今まで気が付かなかったモニュメントを目にする事ができました。

日本人とスウェーデン人のお客さん、中国人ガイドの閔と運転手の候兄弟、国籍不明の添乗員二村と、シルクロードを旅するにふさわしい、国際色豊かなメンバーが揃っています。ちなみに私はホーヌマルクさんに「日本にどれくらい滞在しているのですか?」と聞かれてしまいました。

マルコポーロとホーヌマルク御夫妻 スウェーデンと言えばヘディン。シルクロードを旅したくても、ヨーロッパにはこんなツアーはないので参加されたとの事。このツアーも国際的になってきました。 中国版新幹線 2014年11月蘭州とウルムチ間に高鉄(中国版新幹線)が開通。1777kmを約12時間で結びます。シルクロードにも新時代がやって来ました。
嘉峪関を背にして記念撮影 天気予報に反して、毎日好天が続いています。大陸性気候のため日較差が大きく、朝晩は0度前後に下がりますが、昼間は20度近くまで温度が上がります。 魏晋壁画墓見学 ゴビタンに、魏晋時代(3〜5世紀)の墳墓が点在しています。この時期はどこも観光客が少なく、観光には最適です。
全線添乗員:二村 忍

日程8日目 2015年4月8日(水)
嘉峪関→瓜州

ホテルの改修が終わったので、楡林窟、鎖陽城を見学後、今回は瓜州に宿泊。嘉峪関や敦煌のような有名な観光地ではないため、逆に昔のシルクロードの雰囲気が残っています。唐代の瓜州・鎖陽城には、玄奘三蔵が滞在。楡林窟には、敦煌・莫高窟にはない玄奘三蔵と孫悟空、馬の絵が描かれています。シルクロードを旅するには、欠かせない観光地です。

ホテルの見送り 今年もホテルのスタッフが総出で、我々を見送ってくれました。支配人は元日本語ガイドとのこと。それで納得できました。 敦煌の砂嵐(1週間前)ガイドの李祥より 1週間前、瓜州、敦煌付近は砂嵐に見舞われたそうです。今回は、雨の後、雪の後、砂嵐の後と、すべて後塵を拝していますが、逆にそれが功を奏しているようです。
運転手との記念撮影 今回も候兄弟が安全に敦煌まで送り届けてくれました。走行距離は2,500km。日本列島を縦断した距離です。 世界遺産・鎖陽城 めでたく鎖陽城も世界遺産の仲間入り。しかし2年前まで12元だった入場料が、オフシーズン50元、オンシーズン80元に値上げ。入場料も世界レベルとなりました。
全線添乗員:二村 忍

日程9日目 2015年4月9日(木)
瓜州→敦煌

早いもので9日が過ぎ、西安からのガイドの閔、運転手の候兄弟が終了。ウルムチから迎えに来たガイドの趙海龍、運転手の董に交代。夜は全員参加の交代パーティー。ビールにワイン、白酒での乾杯の嵐となりました。10日近くも一緒にいれば、お互い心も通じ合い、古くからの友人同士のよう。別れを惜しむ気持ちになったのは、私だけではないでしょう。

敦煌を出れば、かつての西域へと足を踏み入れていきます。これで西安〜敦煌までの第1クールが無事完結となりました。

敦煌への道 完成した高速道路を敦煌へ。本当にわずか1年で大きく変化します。三危山に沿って、高速道路が延びています。 敦煌数字展示中心 今年から観光方法が変わり、初めに莫高窟に関連するビデオを大画面とマルチ画面の2箇所で鑑賞。その後専用車(混乗)で莫高窟へ移動し、やっと莫高窟の見学となります。
莫高窟 窟内での写真撮影は不可ですが、カメラを持っての入場が可能となり、こんな写真も撮れるようになりました。年間80万人が訪れる莫高窟。夏には10倍の観光客が押し寄せます。 莫高窟前で記念写真 「どのように見学方法が変わっても、老朋友は老朋友」と言って、今回も莫高窟の案内してくれた丁接待部長。部長の丁寧かつ詳しい説明に全員大満足。そこで記念撮影となりました。
全線添乗員:二村 忍

日程10日目 2015年4月10日(金)
敦煌

ガイドの閔、運転手の候兄弟と別れ、どこか寂しい気分。そんな気分を吹き飛ばしてくれたのは、玉門関、漢の長城、河倉城、鳴沙山の広大な景色と暑い日ざしです。

中国では統一時間を採用しているため、敦煌では20時頃まで日が暮れません。西へ来た事を感じさせてくれます。

敦煌賓館陳総経理、閔ちゃんと記念写真 ガイドをするのは年1回のこのツアーだけ。毎日「楽しい。楽しい」と言っていた閔ちゃん。また西安に戻って社長業に復帰です。 蜃気楼 昼間は20度を越え、道路には逃げ水、ゴビタンには蜃気楼や竜巻が。車中には喜多郎の音楽。なぜかこの風景には、喜多郎の音楽が似合います。
お弁当 昼食は、玉門関を眺めながらの和食弁当。野外での食事は、また格別の味がします。星野さん(右側)、永田さん(左側)の嬉しそうな顔をご覧ください。 屋台で夕食 例年より早めに敦煌の屋台がオープン。砂鍋に、シシカバブ、水餃子。今回のお客さんは、特に羊肉が口に合うようです。
全線添乗員:二村 忍

日程11日目 2015年4月11日(土)
敦煌→巴里坤(パリクン)

今年はルートを天山北路に変更。敦煌から一気に天山山脈を越えて巴里坤(パリクン)へ。シルクロードの往来が盛んな時代も、現地事情によって様々なルートが取られていました。天山北路、天山南路、西域南道、そして様々な支線と。距離は約570km。比較的道が良く、休憩や食事の時間も含めて、9時間半で走る事が出来ました。

天山山脈越え 天山山脈の南と北では、景色が激変します。ゴビタンの景色から、雪景色へ。この目まぐるしい変化が、長距離移動の苦労を和らげてくれました。 天山山脈の北側 天山山脈の北側には、天山松などの木々が緑を作り出しています。夏には、この緑を求めて、敦煌やハミから観光客が自家用車でやって来ます。
公共トイレ 今回初めての青空トイレ。高速道路のサービスエリアには、比較的きれいなトイレが完備されています。2〜3時間トイレを我慢できるなら、青空トイレもニイハオトイレも不要です。 現地の人に混じっての踊り 巴里坤では、外に繰り出して蒸した羊(扒肉)に舌鼓を打った後は、現地の人の踊りの輪に飛び入り参加。人々の交流の道でもあったシルクロードを実体験しています。
全線添乗員:二村 忍

日程12日目 2015年4月12日(日)
巴里坤(パリクン)→奇台(チータイ)

天山山脈を左手に見ながら、奇台へ。私たちが西安に着いた日には、雪も降った巴里坤、奇台地方。3日前にガイドの趙海龍や運転手の董が我々を迎えに来る際にも、天山越えの道は一面の銀世界だったとか。一気に気温が上がり、今日の最高気温は27度。ルートを変更しても、トルファン並の気温。異常気象です。

大河古城 唐代の707〜710年に建築された大河古城。風化が激しく、かつての姿をほとんど留めていませんが、天山山脈を背景にした風景は見事でした。 カザフ族の新村 カザフ族等の遊牧民の定住化が進められています。草原の砂漠化を防ぐための措置です。遊牧の形態も、馬からオートバイへと変わっています。
北庭高昌回鶻仏寺遺址 11年ぶりに訪れた北庭高昌回鶻仏寺遺址は、遺跡ごとドームに覆われ、しっかり保護されていました。さすが2014年世界遺産に指定されただけの事はあります。 新たに発窟された塑像 保護と共に発掘調査も進み、新たに塑像も発掘されました。しかし現地のイスラム化によって、新疆に残る仏教の塑像や壁画の多くは破壊されています。
全線添乗員:二村 忍

日程13日目 2015年4月13日(月)
奇台(チータイ)

天山北路は草原の道。元は遊牧民が居住していた地域を唐が支配下に収め、切り開いた道です。遊牧民は自分達の歴史を後世に伝える建造物をほとんど作りませんでした。そのため、現存する史蹟、すなわち観光地は数えるほどです。しかし中国の旅行ブームにのり、自然風景を楽しむ数多くの観光地が開発されました。今日はそんな2箇所の観光地を見学。

連泊のため、ホテルに早めに帰って休養をとる予定が悪路に悩まされ、朝から晩まで11時間の観光となってしまいました。でも夕食の火鍋で、全員元気を取り戻したようです。

ゴビタンを行くバス 中国ではバスはどんな道でも走ります。ちなみに今回は10人で37席のバスを使用。1人2席を使用するので、ゆったりです。 魔鬼城見学?瑪瑙拾い? 新疆には3箇所の魔鬼城があり、そのうち最大の面積を誇る奇台の魔鬼城。瑪瑙が拾えると聞いて、景色を眺めるより、下を向いている人が大半でした。
昼食のパオ 大好評のラグメン
昼食はカザフ族のパオにて。カザフ族の親子が経営。手際が良く、あっという間に出来上がったラグメン。今までで最高の味でした。
絶景の五彩城 五彩城にて記念撮影
ヤルダン地形、丹霞地形と呼ばれる小丘が連なる五彩城。名前の通り五色に彩られた荒涼とした風景は、まさに絶景でした。
全線添乗員:二村 忍

日程14日目 2015年4月14日(火)
奇台(チータイ)→奎屯(クイトン)

今日は移動日。すべて高速道路のため写真ストップをとることもできず、420kmを6時間半(食事時間も含め)で駆け抜けました。ゴビタン、畑と景色は単調、スモッグで天山山脈は見えず、終日バスの中でコックリ、コックリしていた方が多かったようです。

しかし食事の際は、全員元気です。

ホテル 新しく建設されたホテルは、ほとんどがシャワーのみ。中国人はあまりバスタブを好まないとの事。それは理解できても、このガラス張りは私の好みではないのですが。 奇台の街 奇台も例に漏れず高層アパートの建設ラッシュ。こんな風景にも驚かなくなりました。しかし昨年と比べ、どこでも工事がストップしている現場や空き屋が目立ちます。
工場群 11年ぶりの奇台。当時は一面の草原が広がっていました。今では火力発電所などの大規模工場が点在し、モクモクと煙を上げています。天山山脈は煙の中です。 シシカバブ 西安(日程2日目)の回民街で見たタマリスク(紅柳)の串に刺したシシカバブ。「食べたい」との声も聞こえましたが、まだ2日目ではお客さんに露店の品を提供することは、さすがに無理。今日やっとそのリベンジが出来ました。
全線添乗員:二村 忍

日程15日目 2015年4月15日(水)
奎屯(クイトン)→霍尓果斯(ホルコス)

西安を出発し、約4,500kmの距離を走り、霍尓果斯の国境に辿り着きました。食事を抜く方や観光をパスする方は1人も出ず、全員元気に第一章中国編の終了となりました。

日本人グループとは会う事はなく、かといって反日感情を向けられる事もありませんでした。逆に最近は日本人の姿を見る機会が少ないため、どこでも歓迎され、一緒に写真を撮ってくれと何回も頼まれました。新聞・テレビの報道は、一面しか捉えていません。やはり自分の目で見ることが大事です。それを皆さん、身を持って体験されたようです。

セリム湖 果子溝大橋
一昨日までの好天とは打って変わり、今日は雨。今年のパンフレットの表紙はセリム湖の写真。残念ながら、表紙の写真通りの風景は見られませんでした。それでも、下車した際には雨が上がっていました。
霍尓果斯 霍尓果斯の夜
国境の街・霍尓果斯に宿泊。中ソの緊張時代には、最前線の街だった霍尓果斯。現在は、国境貿易の街として発展しています。街にはカザフスタンからやって来た商人の姿も見られ、かつてのシルクロードの街を彷彿させます。
董さんと趙さん 別れの記念撮影
お世話になった運転手・董さんとガイド・趙さん。安全な運転と痒いところまで手が届く案内。ありがとうございました。二人も楽しかったようで、董さんは自ら進んでスピーチを述べ、趙さんは歌(星影のワルツ、北国の春、氷雨)を熱唱してくれました。
全線添乗員:二村 忍

日程16日目 2015年4月16日(木)
中国・霍尓果斯(ホルコス)→カザフスタン・アルマトイ

中国のイミグレーションの対応が劇的に変化していました。パスポートを手渡すと「I LOVE JAPAN」、返却の際には「WELCOME TO CHINA」。出国で「WELCOME」はご愛敬ですが、3年前に訪れたときとは様がわり。一般的に中国人は日本人に好意的です。

国境を越えカザフスタンへ。第二章中央アジア編が幕を開けました。高速道路ではなく、一般道を走れることが、何よりの幸せです。多少道が悪くても、途中停車の旅ができるからです。最初からネギストップ、花ストップ、サモサストップと、快調にストップを繰り返しました。これこそ本来のユーラシア大陸横断の旅です。

いつものポーター達 2012年から数えて、5度目の霍尓果斯国境越え。いつものポーターが我々を中国からカザフスタンまで送り届けてくれました。 新橋の建設が進むイリ川 新道建設が進むカザフスタン。1991年の独立以降、25年間変化のなかった中国国境からアルマトイへの道も、やっと工事が始まりました。
カザフの道のバス停 何気ないバス停に目を凝らすと、かわいらしい絵が描かれていました。味気ない中国の建物と比べ、どこか芸術の香りがします。 ネギ売りの少年 ネギの原産地のひとつカザフスタン。今年も道ばたで野生のネギが売られていました。生でかじるのが地元の食べ方。もちろん我々も生かじり。
道路を横切る遊牧民 バイクに乗って家畜を追うのが一般的となった中国。カザフでは従来通り、馬に乗っていました。やはり馬の方が、しっくりきます。 アルマトイの街と天山山脈 昨晩の大雨、昼間のぐずついた天気が嘘のようにアルマトイは晴れ。天山山脈が、我々を迎えてくれました。
全線添乗員:二村 忍

日程17日目 2015年4月17日(金)
アルマトイ

国境を越えてくれば、前の国と比較してしまうのは致し方ない事。アルマトイは、高層ビルも建設中の建物もなく、鬱蒼とした森に囲まれた静かな街。人々も物静か。そこにはゆったりとした時間が流れ、お客さんもどこかホッとした様子でした。

ゼンコフ聖堂ロシア正教の教会・ゼンコフ聖堂。復活祭開けのミサが行われていました。荘厳な雰囲気に、全員が即席のキリスト教徒に。 退役軍人と記念撮影 今年は5月に戦勝70周年の記念式典が行われます。第2次世界大戦での旧ソ連の戦死者は2,600万人。カザフスタンでも60万人が戦死。ベルリン戦で九死に一生を得た元軍人が、勲章を付けた軍服を着用して、誇らしげに散歩を楽しんでいました。
博物館前にて たくさんの子供たちが、課外授業で博物館見学にやって来ていました。もちろん親の付き添いはなし。中国・西安で見た課外授業の風景とは大きく違います。 シムブラック・スキーリゾートにて記念撮影 コクトベのロープーウェーが老朽化のため休止。急遽予定を変更してシムブラックへ。シルクロードの旅で、スキーリゾートを訪れることができるとは。お客さんも、予期せぬ観光に大満足でした。
全線添乗員:二村 忍

日程18日目 2015年4月18日(土)
カザフスタン・アルマトイ→キルギス・ビシュケク

国境を越えてキルギスへ。日程上の観光はビシュケクのバザールのみ。それでは移動日?いやいやこのツアーは移動日が真骨頂なのです。一言で表現すれば「花・花・花、食・食・食」、そんな一日でした。

アルマトイ
黄色のチューリップ チューリップの群落と記念写真
とにかくチューリップ それでもチューリップ
ここ3年間で最もチューリップの当たり年でした。アルマトイの郊外に出るとすぐに、ステップ一面の黄色のチューリップ。目を凝らして、チューリップを探す必要もありません。コルダイ峠では、山の斜面を覆い尽く黄色や赤色のチューリップ。しかしここでは野生のチューリップも日本のタンポポ並の扱い。見向きもされません。
前菜 肉団子スープ
ファーストメイン・マンティ セコンドメイン・ミンチケバブ
前菜にパンが添えられ、肉団子スープ、マンティ、ミンチケバブが次々に出ていきます。最後に紅茶とアップルケーキも。これでもかと食事を提供するのがキルギス流。それに対し、残したらもったいないと考えるのが日本流。そこに文化の違いが。皆さん、体重の増加が気になってきているようです。
全線添乗員:二村 忍

日程19日目 2015年4月19日(日)
ビシュケク→イシククル湖

今日も天山、天山、そして天山。中央アジアのスイスと呼ばれる風景が広がっていました。しかし天山山脈も紀元前から歴史書に登場する有名な山、その規模はアルプスを凌ぎます。天山山脈の長さ2,500km、幅400km、最高峰7,439m。アルプスは、長さ1,200km、幅130〜200km、最高峰モンブランの標高は4,808mに過ぎません。天山山脈では5,000m以下は無名峰。モンブラン程度の高さでは名が付きません。もし近現代の歴史がアジアを中心に動いていたら、スイスはヨーロッパのキルギスと呼ばれていたかもしれません。

二十日大根売り 一昨日のネギ、本日の二十日大根の買い食いは大好評。遊牧民は野菜不足を補うため、野生のネギやルバーブ(大黄)を食していたそうです。レストランが提供する野菜は、ほとんどがトマト、キュウリ、ニンジンだけ。私たちは、野菜不足を買い食いで補います。 キルギスの若者と記念写真 若いキルギス人の女の子たちにせがまれて、一緒に記念写真を。写真をよく見ると、日本人の男性陣より、スウェーデン人のニルスさんの方がもてているようです。
天山・天山・天山 同じ天山でも、昨日は天山山脈の支脈のザイリスキー・アラトー、午前はキルギス・アラトー、午後はテレスキー・アラトーとクンゲー・アラトー。しかし見える範囲に名前の付いている峰はありません。 キルギス帽 あまり買い物をしない男性陣も、3人の方がキルギス帽をお買い求めに。
辻村さん(写真右)「この帽子を被って、ゴルフの1ランドを回ろう」
中川さん(写真中)「女房、このブログ見てるかな」
井口さん(写真左)「もう絶対にキルギスには来る機会はないと思うので買いました」
全線添乗員:二村 忍

日程20日目 2015年4月20日(月)
イシククル湖

今日は終日曇り。今まであまりに運が良すぎたのでしょうか。天山山脈は雲の中。中国ではスモッグの中。大きな違いがあります。それでも観光やバーベキュー中には、雨に降られず、寒くもなかったので助かりました。そんな天気でしたが、皆さんには、記憶に残る一日になったようです。

小さなチューリップ 一面のチューリップもいいですが、1本だけ咲くチューリップもけなげで魅力的です。昨日のチューリップよりかなり小振り。チョルポンアタの岩絵の間に、ポツンポツンと咲いていました。 杏の花咲く村 この時期は杏の季節でもあります。村中に薄ピンクの花が咲いていました。実がなると、収穫して手作りジャムを作るのだそうです。キルギスのお袋の味でしょうか。
海外青年協力隊員むつなさんと記念撮影 誰が協力隊員かわかりますか?シルバーボランティアではなく青年海外協力隊員です。ばったりチョルポンアタの街で出会いました。チョルポンアタには5人の隊員、キルギスには33人の隊員がいるそうです。日本政府はキルギスには、かなり力を入れています。 キルギスの小学生 中央アジアの子供たちは、この白いリボンが大好き。カザフスタンでも、キルギスでも見かけました。やはりどの国でも、女の子はおしゃれです。
タラスさん奮闘 今回もガイドのタラスさんと運転手がバーベキューに奮闘してくれました。運転手が本日運転したのは1時間、バーベキューに2時間半。本日は運転手と言うより料理人でした。ちなみにキルギスの田舎では羊をさばけないと、結婚相手として認められないそうです。 「いただきまーす」 おいしい空気に、おいしいシシケバブ。ニルスさんも、中川さんも学生時代以来、50年?ぶりの野外バーベキューだったとか。平均3本のシシケバブを平らげました。夕食は抜きと言いながら、全員ちゃんと夕食も食べていました。
全線添乗員:二村 忍

日程21日目 2015年4月21日(火)
キルギス・イシククル湖→カザフスタン・タラズ

わずか一日で青空が戻ってきました。ガイドのタラスさんは昨日まで「イシククル湖は天山の青い真珠とも呼ばれます」との説明を控えていたとのこと。今日は、お客さんも納得する景色でした。真っ青なイシククル湖、緑の草原、真っ白な天山山脈。原色が映え、目にまぶしい日となりました。それもそのはず、日中の気温は29度まで上がり、春を飛び越え一気に夏になったのですから。

キルギスからカザフスタンへ。昨年の轍を踏まないよう、混雑するチャルダバール国境は避け、一昨日使用したコルダイ国境を再び使用。距離は30km長くなったものの、道はコンクリート製の新道。西ヨーロッパ・中国西部高速道路を快適に飛ばしタラズへ。何とか日が残る20:00までには、ホテルに到着できました。

イシククル湖と天山 春はひっそりとしているイシククル湖畔も、夏には国内外から多くの避暑客が訪れます。宿泊したホテルには、ボーリング場、テニスコート、屋内プールなどの娯楽施設が整っていました。ただしこの時期はすべてクローズでしたが。 イシククル湖、天山、杏の花 ゆっくり腰を落ち着けて撮りたい風景ですが、今日は国境越え。10分程度の写真ストップで先を急ぎました。
サクラソウ畑 先を急いでいても、花ストップは欠かせません。車窓からは菜の花畑に見えたのですが、近寄って見ればサクラソウの群落でした。やはり間近で見なければ、正しいことは言えません。 チューリップの群落とチュー川 昨年見つけたチューリップ。今年もチュー川沿いの断崖に、可憐な花を付けていました。よくよく見ると新種のチューリップなのか、別種の花なのか?間近で見ても、専門知識がなければ、こんな具合です。
全線添乗員:二村 忍

日程22日目 2015年4月22日(水)
カザフスタン・タラズ→ウズベキスタン・タシケント

二日続けての国境越え。日本にない陸路の国境越えは、楽しみのひとつではあるものの、難関のひとつでもあります。いくら万全の準備を整えていても、越境者が多ければ長時間待たされることも。後は運任せ。いつものポーターを電話で呼び、備えはOK。幸いにも運び屋、出稼ぎの人が少なく、1時間半で国境を通過しました。中央アジアで最も観光地が多いウズベキスタンの旅の始まり、始まりです。

国境での気温は35度まで上昇。「冬服を持って来すぎた」との声も聞かれましたが、一昨年は本当に寒かったのですよ。備えあれば、憂いなし。

赤の絨毯 お約束のチューリップは、今年も同じ場所に咲いていました。野生のチューリップ。我々を毎年、待ってくれているようで嬉しくなります。 野生のチューリップの王様 グレイギイ・チューリップ。カザフ・キルギスで見るべきものは、すべてクリア。安心して、ウズベキへと出国出来ました。
遊牧民と天山山脈 中国と違い、バイクで放牧している人はひとりも見かけませんでした。やはり大草原には、馬が良く似合います。 広大なステップ 広大なステップは、写真ではなかなか表現できません。春の訪れが早いせいか、草原の緑がまぶしく光っていました。まさに草原のシルクロードです。
国境にて記念撮影 1週間、我々を中国国境からウズベキスタン国境まで送ってきてくれたドライバーともお別れ。45人乗りの大型バスだったため、左右4席をゆったり使用する事ができました。天山が見えれば左座席へ、日ざしが強くなれば右座席へと移動しました。 $100分のスム札 2013年5,000スム札(250円)が導入されたので、札束をビニール袋に入れて、持ち歩く必要がなくなりました。それまでは1,000スム(50円)が一番の高額紙幣でした。
全線添乗員:二村 忍

日程23日目 2015年4月23日(木)
タシケント→サマルカンド

今日から全員半袖に衣替え。タシケントで国立博物館、アリシェル・ナボイ劇場、日本人墓地を見学後はサマルカンドへ。カザフスタンとは打って変わって、畑作地帯が続きます。ハミから一緒に旅してきた天山山脈が昨日で終了。どこか寂しさもあります。でもパミール・アライ山系の雪を被った山々がうっすらと見えるのは救いです。

サマルカンドには早めの17時に到着。涼しい夕方にウルグベク天文台とアフラシアブの丘と博物館を見学。日中は、観光できる気温ではありません。

日本人墓地に供える花を購入 今回最も遠い熊本から参加の長橋さんと星野さんが、花の購入につき合って下さいました。お供え用の花でも、菊の花とはいかないのが中央アジアです。 シルダリア 中央アジアの二大大河のひとつシルダリア。ここでは蕩々とした水をたたえるシルダリアもアムダリア同様、途中で灌漑用に水を取られ、河口のアラル海には注いでいません。
コウノトリ チューリップに変わって、赤いポピーが車窓の風景を楽しませてくれます。そして畑の電信柱の上には、今年もコウノトリが巣を作っていました。 ドイツ人観光客と スウェーデン人のニルスさん。やはりヨーロッパ人の観光客は気になるようで、積極的に話しかけていました。そこに西脇さんも参加。今回は多言語を話せる方が多いようです。ちなみに西脇さんは教育大出身。何と私の中学の担任の先生と先輩後輩の間柄。更に教鞭をとった大学では私の小学校の同級生と同僚の間柄だったとか。また新しい縁が生まれました。
全線添乗員:二村 忍

日程24日目 2015年4月24日(金)
サマルカンド

昼間は連日30度を越え、多少疲れ気味。と言っても男性陣に限った事で、女性陣は食欲、おしゃべり、買い物、すべてに元気です。

それでも体調を崩してはいけないので、涼しい朝にサマルカンドの観光をすべて終え、午後は半日自由行動。部屋でのんびり過ごし、後半戦に備えました。

レギスタン広場にて記念写真 真っ青な空に、青いドームを持つメドレッサ。サマルカンド・ブルーを体現できました。私たちだけで写真を取れたのはこれ一枚。これ以降は現地の人が入り乱れての写真撮影会となりました。 石川さんとウズベクの女性 石川さんが声を掛けた訳ではありません。女性から声を掛けられて、一緒に記念写真を撮ることに。今日はみなさん至る所で声を掛けられて記念写真を撮るので、観光時間が大幅にオーバー。でも今日は時間に余裕があるので、日ウ友好を優先しました。
テリヤカリ・メドレッセ内のモスク 金を使い、見事に装飾されたメヘラブ。偶像崇拝を否定するイスラム教。その分、装飾に手が込められています。 美人姉妹 長女が日本人と結婚し、神奈川県の相模原に住んでいるとか。ナルトのTシャツを着た次女が、日本語で石川さんに話しかけてきました。隣は三女。今日は石川さん、大人気の日でした。
ウズベクの女性 ウズベクの男性
女性の服装は艶やかですが、それに引き替え男性は極端に地味。イスラム教を真剣に信仰している人が多いウズベキスタン。男性と女性は家族を除いて、一緒にはあまり歩かないようです。
全線添乗員:二村 忍

日程25日目 2015年4月25日(土)
サマルカンド→ブハラ

ネパール中部でM7.8の大地震、死者は2,000人を越えるとのニュースが入ってきました。お悔やみ申し上げます。ここブハラは、カトマンズから約2,200km。以前イランで地震が発生した際には、敦煌でも揺れを感じたのですが今回はまったくなし。しかし人ごとでないのは、シルクロード沿いの中国、中央アジア、イラン、トルコは何度も大地震に見舞われ、地震多発地帯に位置しているからです。

午前中は疲れ気味なので予定を変更し、近場のウルグットのバザールを見学へ。午後からブハラへ向かいました。

ポピー 緑の小麦畑に赤のポピーがよく映えます。和名はひなげし、中国名は虞美人草。項羽と劉邦が雌雄を決した垓下の戦い。項羽と共に自害した愛人虞。彼女を葬った墓に、ポピーが咲いたことから、虞美人草の名が付いたそうです。 ゼラフシャン山脈とバザール ゼラフシャン山脈を越えればタジキスタン。その国境に近い所に、巨大なウルグット・バザールが開かれています。今日は土曜日。1万人以上の人出でしょうか。
スザニを刺繍する女性 刺繍が施された装飾用の布地。かつては結婚式の持参品として織られていました。近年特にその美しさが観光客の間で評判となり、様々なスザニが売られています。 タジク人のおじいさん 一生懸命、おばさんとやりとりしながら買い物中のタジク人のおじいさん。最近は、これだけ見事な民族衣装を身にまとった男性はあまり見かけなくなりました。
極彩色豊かなバザール すべての色が使われていると思わせる女性用の艶やかな服。それに比べ、日本で使われている服の色がいかに少ないことか。 砂嵐 青空が隠れ、空が灰色となり、砂嵐模様になってきました。現在は畑になっていますが、元はキジルクム砂漠です。
全線添乗員:二村 忍

日程26日目 2015年4月26日(日)
ブハラ

早いもので、旅の半分が終了。今日から後半戦に入ります。数日前に「冬物はもう仕舞って大丈夫です」と言ったばかりなのに、今日は気温が急降下。日中でも15度前後。風も吹いているので体感温度は更に低く感じられ、コートやダウンを着ての観光となってしまいました。

ホテルの朝食 新しいホテルモダリホン。入口は狭いのですが、中はこんな空間が広がっています。夕食も昼食も、この明るい屋根付きの中庭でとりました。 閑散としたおみやげ品店 あまりにも寒いので、観光客の姿はまばら。おみやげ品店の店主も手持ちぶさたのよう。閑散としたブハラでした。
お客さんは5人 今回は買い物好きのお客さんが多く、観光の途中で自由解散。最後まで残ったのは、わずか5人でした。 踊りの鑑賞 夜はメドレッサで踊り+ファッションショーの鑑賞。今回、西安を出発してから初めて日本人グループと会いました。わずか7人のグループでしたが。
全線添乗員:二村 忍

日程27日目 2015年4月27日(月)
ウズベキスタン・ブハラ→トルクメニスタン・マリ

最も難関と思われたファラップ国境越え。今まではスーツケースを押して、緩衝地帯1.5kmを歩いていました。今年からウズベキスタン・ブハラとトルクメニスタン・トルクメナバードの相互住民のビザなし渡航が可能となり、往来が増え、緩衝地帯を行き来するミニバスが走り出しました。おかげで我々もミニバスで移動。

国境通過後も、マリまでの道が良くなり、更に宿泊も新しいマリ・ホテル。従来は辛い国境越え、悪路、設備の悪いホテルと、中央アジアで最もハードな1日が、今では快適な1日に変わりました。

宿泊証明書 観光立国を謳いながらも、中央アジアの中で、観光客に対する事務手続きが多いのがウズベキスタン。入出国時には税関の申告書(所持金すべて)を記載、宿泊時には宿泊証明書を受領する義務があります。まだ旧ソ連のシステムを引きずっています。 国境 トラックが国境前にずらっと並んでいました。国境貿易が盛んになり、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、イラン、トルコと数カ国のナンバーを見かけました。
春の砂漠 先日サマルカンドやブハラの夜に降った雨が、この砂漠にも恵みを与えていたのでしょう。春の砂漠は色とりどりの花で覆われていました。 メルブの遺跡とロバ車 スルタンカラの城壁を行くロバ車。世界遺産の敷地内でもロバ車が走り、ラクダの放牧が行われています。メルブの遺跡は今でも生きています。
メルブの遺跡で記念写真 小キズカラ前で記念写真。観光客は我々だけ。中央アジア最大のメルブの遺跡でも、自然の音を聞きながら観光を楽しめます。 マリのホテル マリにもやっと豪華なホテルができました。宿泊設備は問題なし。お客さんから「お湯が出ない」「トイレが詰まった」「電気がつかない」等の電話も掛かって来なくなりました。見かけ倒しではありません。
全線添乗員:二村 忍

日程28日目 2015年4月28日(火)
マリ→アシガバード

毎回度肝を抜かれるトルクメニスタン。お客さんからも「ヘー」「ワー」「ホー」との感嘆の声が上がっていました。マリからアシガバード間の道も予想に反し、整備が進み、早めにホテル到着。宿泊は今ツアーで最高レベル。「いいホテルは滞在時間が少ない」と言われずに済みました。

拡張工事中 アシガバードと東のウズベキスタン国境とを結ぶ道路を拡張工事中。一度に全面工事を施工する中国と違い、片面ずつ施工するので、工事が完了した箇所から通行可能。工事中でも、さほど不便を感じませんでした。 紫の花 「花の名前は?」と聞いたところ、ガイドはロシア語で即答。さすがと思いきや、その意味は紫の花とのこと。結局、花の名前は紫の花でした。
アピベルディ遺跡 遺跡に散らばる陶器の破片
トルクメニスタンには2500の遺跡が確認されていますが、大部分は未発掘、未調査。アピベルディ遺跡も発掘はおこなわれたものの、ガイドによって説明が異なり、私も混乱してしまいます。保存状態も大雑把。こんな破片が無造作に散らばっています。
スーパー スーパー内部
「スーパーに立ち寄って下さい」とリクエスト。案内してくれたのは、今年オープンしたばかりのショッピングモール。巨大なモールの内部は、豪華絢爛。品揃えは高級ブランド品から日常品まで溢れんばかりでした。バザールだけでなく、スーパーも立ち寄らなければ、その国の実態は掴めません。
昼のホテル 夜のホテル
宿泊予定のホテルがリノベーション中のため、予定変更してユルドゥズホテルに宿泊。ドバイのバージ・アル・アラブ、バクーのファアモントン(フレイムタワー)を連想させる作り。内部もゴージャス。中央アジアの北朝鮮からドバイへ。天然ガスが街や国を変えていきます。
全線添乗員:二村 忍

日程29日目 2015年4月29日(水)
アシガバード

午前の涼しいうちに、ニサ遺跡、国立博物館、永世中立の塔、ロシアバザールの観光を終了。白亜の大理石で作られた街、真っ赤なポピーの花に彩られた空き地、緑の草原に覆われたコペトターグ山脈。アシガバードは、まさに春真っ盛りでした。

春の中央アジアは花の旅。まさに看板に偽りなしの旅となりました。国境越えが多く、寒暖の差が激しかった中央アジアの旅。旅の疲れをとるため、午後はホテルでの休息時間としました。

ニサの遺跡とポピー(1) ニサの遺跡とポピー(2)
ローマと死闘を繰り返したパルティアの最初の首都ニサ。真っ赤なポピーが絨毯を敷き詰めたように咲き誇っていました。
夕食 夜景を楽しみながら、ホテルのスペシャルルームでの夕食。ジャケットが必要なほどの雰囲気。でもここは中央アジア。他のお客さんも平服でした。 プール プールにジャグジー、サウナも併設。旅のしおりに「水着必要」と書いたのが、やっと役に立ちました。すべて無料なのは、さすがトルクメニスタンです。
部屋 バスルーム
木がふんだんに使われたアンティーク調の部屋。シャワーとバスタブ(テレビ付き)が別のバスルーム。すべてブルガリのアメニティグッズ。怪我の功名で宿泊したホテルに、全員大満足でした。
昼の景色 夜の景色
部屋の窓から、昼は白亜の大理石の街、夜はイルミネーションに輝く街を眺める事ができました。まさかこのツアーでホテルライフを楽しむ事ができるとは、夢にも思わなかったようです。
全線添乗員:二村 忍

日程30日目 2015年4月30日(木)
トルクメニスタン・アシガバード→イラン・マシャッド

中央アジアの旅を終えイランへ。白から黒へ。静から動へ。人種もトルコ系からアーリア系へ。言葉もトルコ語系からペルシャ語系へ。国境を越えると、劇的に変化します。

国境越えはスムーズ。その後は、シーア派の聖地イマームレザー廟コンプレックスを見学しました。

アシガバードの日の出 白い大理石の街に、真っ赤な朝日が昇ってきました。 イラン国境へ ゲートをくぐり、緑のコペトターグ山脈を越えれば、そこはイランです。
イマームレザー廟コンプレックス(1) イマームレザー廟コンプレックス(2)
イマームレザー廟を中心に、6つのメドレッセ・2つの博物館・図書館・7つの広場・12の門からなるコンプレックス。今まで同様カメラの持ち込みは不可でしたが、携帯電話での撮影は可になり、写真に収めることが出来ました。携帯電話が必需品となった現代、持ち込みを不可にする事は出来なくなったのでしょう。
全線添乗員:二村 忍

日程31日目 2015年5月1日(金)
マシャッド→ゴルガン

イランで最も長い570kmの移動日。イランの道は、舗装状態が良く、そのうえバスはクッションのいいイラン製のボルボ。快適な1日と言いたいところですが、やはりロングドライブは疲れたようです。

花の道 ホラサン州は、果物・野菜の生産が盛ん。世界のサフランの50%は、マシャッド近郊で生産されています。 トイレ イランではモスクのトイレを拝借。礼拝のために、身を清める場所としても使用するのできれいに掃除されています。もちろんすべて水洗です。
交流会 学生達も同じレストランで食事。言葉はわからなくても、ひそひそと我々の噂話をしているのは推測出来ます。こちらから声を掛けると、喜んで写真に収まってくれました。その後は、彼女達の携帯でもパチリ。 ピクニック イランでは木・金が休日。郊外へ家族連れで出かけ、ピクニックランチやバーベキューを楽しむのがイラン流。イランでは、祖父・祖母も含めた家族が基本です。
森の道 エルブルズ山麓には、森に覆われたゴレスタン国立公園が広がります。イノシシ、クマ、ヒョウが生息。クマ、ヒョウの数は減ってもイノシシの数は増えています。イスラム教の国では、豚=イノシシは食べません。 西脇さん誕生日 本日は西脇さんの誕生日。道中で購入したイチゴを載せたショートケーキで、ささやかなパーティー。ホーヌマルク夫妻が、スウェーデンのバースデーソングを歌ってくれました。
全線添乗員:二村 忍

日程32日目 2015年5月2日(土)
ゴルガン→テヘラン

今日はイスラムの第4代正統カリフ、シーア派では初代イマーム、アリーの誕生日の祝日。木・金と続き、三連休。砂漠の国イラン。人々は休日になると、水、森を求めて出かけて行きます。そのためカスピ海、エルブルズ山脈沿いは、多くの人で賑わっていました。

三連休の最終日は、イランも例に漏れず、行楽帰りの渋滞。テヘラン到着予定18:00が、21:20に。さすがに32連休目の我々もヘトヘトでした。

路上のバイオリン弾き イランの大道芸人は、その名前の通り大道にいます。信号、渋滞する道路等々、車がスピードを落とす場所が彼らの仕事場です。 カスピ海にて記念撮影 「写真を一緒に取りましょう」と声を掛けられれば、すぐに応じるのが我々の女性陣。従って女性陣ばかりの写真に。ちなみに男性陣も元気です。まるでモデルを連れて歩いているようでした。
渋滞 電車網やバス網が発達していないので、自家用車での行楽が主流となります。無理な割り込み、無茶な追い越しが渋滞に拍車を掛けます。しかしクラクションを鳴らすわけでもなく、割り込み、追い越しにも比較的寛容で、すぐに入れてあげます。渋滞でもあまりイライラした様子は見られませんでした。 デマバンド山 渋滞で遅くなったので心配していたのですが、何とかデマバンド山の雄姿を眺めることができました。デマバンド山はあまり知られていません。実はデマバンド山の方がトルコのアララット山より約500m高く、標高は5,671mです。
全線添乗員:二村 忍

日程33日目 2015年5月3日(日)
テヘラン→シラーズ

午前中は自由行動。部屋でのんびり過ごした方が多いと思いきや、多くの方が散歩に出かけたようです。午後はテヘランの市内観光(地下鉄乗車含む)とガイドのアリプールの実家訪問。夕刻の便でシラーズへと向かいました。

チェックイン時にパスポート不要。ゲートに入る際にも、パスポートと搭乗券の照合はなし(日本人は特に優遇されます)。さすがにX線による手荷物検査は行われたものの、ミネラルウォーターなどの液体類の持ち込み可。世界中の空港で、手荷物検査、身体検査が強化されている中、これだけ簡単な搭乗手続きは珍しい。いかにイランが安全な国か、おわかり頂けると思います。

実際に自分の目で見れば、いかにイランが安全かつホスピタリティーに溢れた人々が住む国かわかります。毎回同じ事を言い続けているのですが、私の力はあまりに微力です。

今日は時間に余裕があるので、テヘランのトピックスを集めてみました。

「世界の木」の絨毯 世界の有名人や各国の人々をデザインした20世紀のペルシャ絨毯。この中に日本人が織られています。どれだかわかりますか?正解は赤丸。その下にペルシャ語で日本人と書かれているのだそうです。その下が日本建築。 アリーの肖像画 イスラム教は群像崇拝をしない?それはスンニー派であって、シーア派では、偶像崇拝をする時もあります。スンニー派では第4代正統カリフ、シーア派では初代イマーム・アリー。イランでは、アリーの肖像画も飾られています。
世界最古のアニメーション 世界最古のアニメーションが描かれた紀元前3,000年のポット。山羊の動きが5枚の絵で表現されています。日本のアニメの原点は、イランにありました。 地下鉄 イランの地下鉄は4路線。中国の車両が導入されています。中央アジアでは、写真撮影は禁止ですが、イランでは問題なし。
香水売り 地下のキオスクには、香水専門店もあります。スカーフで髪を隠し、長めの上着を羽織らなければならないイラン。抑制されれば、逆に反発するもの。顔の化粧は派手目。香水は、世界で最も多く使用するとも言われています。 聖職者とイラン人女性 テヘランの象徴アーザーディータワー。たまたま前を通った聖職者と普通のイラン人女性の対照的な服装に、思わずシャッターを押しました。これが現在のイランです。
アリプールの実家にて記念写真 ガイドのアリプールの実家にお邪魔しました。お母さんが不在だったので、甥っ子、姪っ子が歓待してくれました。後列の右から2番目の姪っ子に注目。家の中では、女性もいたって普通の格好をしています。 機内食 わずか1時間半のフライトでも、しっかりホットミールが出ます。国際線でも、満足な機内食が減った昨今。イランのサービスには、おもてなしの精神がこもっています。
全線添乗員:二村 忍

日程34日目 2015年5月4日(月)
シラーズ

イランのハイライト・ペルセポリス。さすがにゴールデンウィーク期間。ふたつの日本人グループと出会いました。治安が良く、壮大な世界遺産を持ち、フレンドリーなイラン。もう少し日本人観光客が増えてもよさそうです。欧米観光客は、経済制裁解除を先取りして、観光客数が激増しています。但しその数に見合う、宿泊施設が不足している(特にイスファハーン)ため、受け入れを断っているのが現状とか。
全員大満足の1日でした。

ピンクモスク 正式名称ナスィー・アル・モルク・モスク。ガジャール朝の時代、時のシラーズの支配者ナスィー・アルが、ヨーロッパを旅した際に見た、教会のステンドグラスをモスクに取り入れました。 クセルクセスの門 訪れてみたい世界遺産の五指に数えられるペルセポリス。外国人観光客以外にも、地元の観光客で賑わっていました。学生の野外学習でしょうか。こちらが気になる様子で、ちらちら私たちを見ながら通り過ぎていきました。
ペルセポリス 入場料は15万リアル(約600円)。「中国ならチケット売り場からゲートまで電気カートで移動、まずビデオを見てから入場。5,000円は取られるね!」。西安から旅している我々ならではの話しで盛り上がりました。 ミリさんを囲んでの記念写真 2013年の春に会ったミリさん。今回も登場してくれました。しかし今日は授業の合間で、前回のようにハデではなく、比較的地味な格好。現在もキャビンアテンダントの仕事を続けながら、大学院で英語を勉強しているとか。努力家です。
変身 霊廟などの聖地を訪ねる際、女性はチャドル着用が義務。無料レンタルのチャドルがあり、入口で係の人が着せてくれます。丈が長いので、常に引きずっていなければならず、不便との感想でした。 ハムザ廟 シーア派7代目イマームの孫ハムザの廟。特別なお祈りの最中でも、普通に観光客を受け入れていました。ちょっと厳粛な雰囲気だったので気後れしましたが、礼拝中の人は我々にお構いなし。写真撮影まで可能でした。
全線添乗員:二村 忍

日程35日目 2015年5月5日(火)
シラーズ→イスファハーン

シラーズからイスファハーンンへは約500kmの道のり。ゾロアスター教の三つの柱が「良い考え、良い言葉、良いおこない」なら、バス旅の三つの柱は「いい道、いいバス、いい運転」でしょうか。この三つが揃っていれば長距離移動も苦になりません。
そのうえ雄大なイラン高原の景色も加わって、快適な1日となりました。テヘランで世界遺産のゴレスタン宮殿が休みだったため、代わりにシラーズ→イスファハーンで世界遺産のパサルガダエへ。ホテルは、コーサルからアバシーに。

この旅は変更がたびたびあります。旅は生き物です。

矢車草とパサルガダエ 矢車草と呼ばれることもありますが、ヤグルマギクが正解。辞書を調べたら「マリー・アントワネットが好んだ花」「ツタンカーメンの棺の上に置かれていた」などとも書かれていました。 Rotel Tours 寝台車を牽引して走るRotel社のドイツのバス。このバスに寝泊まりしながら陸路の旅を楽しみます。1995年、初めてユーラシア大陸横断のバスの旅を企画した際には、このツアーも参考にしました。今回は70周年を迎えるそうです。我々も頑張らなくては。
イランの子供たちの野外授業 子供たちがキュロス大王の墓の前で記念写真を撮っていました。便乗してパシャ。変なおじさんがカメラを向けているにも関わらず、笑顔で写真に収まってくれました。 33アーチ橋 橋の下を流れる季節川のザーヤンデ川。水なしとありでは、まったく印象が違ってきます。ここ数年の成績は、12年秋・水なし、13年春・水あり、13年秋・水なし、14年春・水なしと1勝3敗。今年は水あり。それも蕩々たる水を湛えていました。
全線添乗員:二村 忍

日程36日目 2015年5月6日(水)
イスファハーン

午前はイスファハーンの観光。午後は自由行動。夕刻から再び市内観光と夕食へ。後半戦の旅は、疲れの溜まらないようにペースを落としています。

しかし毎回頭を痛めるのがイランの食事。味は悪くないのですが、メニューにバラエティがないので飽きがきます。基本はサラダ、スープ、煮込みかケバブ(鶏か羊かミンチ)。味付けはイラン人の好みに合わせ、酸っぱいか甘いか。香辛料はほとんど使いません。メニューとレストランは、その都度ガイドのアリプールと苦心惨憺して決めていくのですが、毎回アンケートでは国別で最低の評価。今年はレストランの数も増え、多少変化もつけられるようになり、今のところまずまずのようです。

サファヴィー朝 1501〜1736年に現在のイランを中心とした地域を支配したイスラーム王朝。初めてシーア派の一派十二イマーム派(現在のイランと同じ)を国教とした王朝としても知られています。しかしお酒には寛容で、こんな絵も描かれています。 1915年4月24日 イランには400年前から多くのアルメニア人が住んでいます。特にイスファハーンに多く、アルメニア教会も置かれています。アルメニアは4月24日を虐殺の追悼日に指定し、今年は発生から100年に合わせて追悼式典がおこなわれました。
イマーム広場の夜景

昼間と夜の2回、イマーム広場に出かけて行きました。しかし夜景は、トルクメニスタンのアシガバードで圧倒されているため、照明が暗いイマーム広場は今ひとつだったようです。
美女と野獣 消極的だった男性陣も、美女の前では積極的。誰が最も積極的なのかは一目瞭然でしょう。10年ほど前のイランでは、男性と一緒に写真を撮ることも、肩を組むなんてもってのほか。むち打ちの刑でした。 アバシーホテルの夜景 400年前にアッバース1世のキャラバンサライとして建設されたアバシーホテル。特に中庭が素敵。宿泊客でないイラン人の観光客は、ホテルに入るのに入場料10万リアル(約400円)を払わなければなりません。
全線添乗員:二村 忍

日程37日目 2015年5月7日(木)
イスファハーン→カシャーン

終日不安定な天気でした。アビヤーネ村までの道中では雨に見舞われ、アビヤーネ村では不思議と青空が戻ってきたものの、カシャーンまでは一転空がかき曇り砂嵐模様。夜には星空に。こんな日もあります。

カシャーンまでの往復60kmの山道を除いては、快適な舗装道路。途中、今注目を集めるナタンズのウラン濃縮施設付近を通過。高射砲が見える程度で、特に緊張した様子はなく、ゲートの近くをバスで通って行きました。

アビヤーネ村 再びイランの連休となり、観光客でごった返すアビヤーネ村。標高が2000mと高く、涼しいので、イラン人に大人気の観光地。観光客の数が多く、地元の女性〔ササン朝ペルシャ時代そのままの服装(白地にピンク模様)を着用〕は、ほんの数人でした。 アビヤーネ村外観 チョッと村はずれまで足を伸ばすと、こんな風景が広がっています。アビヤーネ村は、外から見る方がよさそうです。
フィン庭園 「サファヴィー朝のアッパス1世(1588〜1629年)の時代に建設されたペルシャ庭園の代表格フィン庭園」。ここまでは去年と同じ。「アッパス1世の時代は日本の豊臣秀吉、徳川三代にあたります」と付け加えたのが今年。毎年少しずつ、説明は進歩していきます。 週末は野外で イラン人は、本当に屋外での食事が大好き。屋外レストランやバーベキュー場だけでなく、ちょっとでも緑がある場所では、シートを広げてお茶や携帯した食事を楽しみます。緑があれば、道路の中央分離帯でも気にしません。
川床での夕食(1) 川床での夕食(2)
焼きたてナン 巨大なケバブ
天気が回復したので、我々もイラン人と同様に、野外の川床での食事。焼きたてのナンに巨大なケバブ(羊、ミンチ、鶏の手羽)。味もさることながら、道行く人々を眺め、川の流れの音を聞きながらの食事は最高でした。
全線添乗員:二村 忍

日程38日目 2015年5月8日(金)
カシャーン→ザンジャン

本日は晴天なり。スコーンと晴れた青空の中、人影稀な荒野を走って行きました。

イランは石油(原油)の埋蔵量は世界第4位、天然ガスの埋蔵量は世界第4位。世界有数の資源大国ですが、今は欧米からの経済制裁を受けて、経済は落ち込んでいます。しかしいずれ、世界のイニシアチブを持つ国に変わって行くでしょう。人的資源も豊富なイラン。今回は、そのポテンシャルの大きさを体感したようです。

アリプールの話で、かつて欧米の圧力に対抗した日本人がいたことを知りました。出光佐三。日章丸事件で知られています。イラン人が日本人を好きな理由は、こんな所にもあります。

カシャーンのホテル イランのホテルは、見かけはイマイチでも、内部はヨーロッパ並とはいきませんが、設備は整っています。そのうえサービス満点。見かけ倒しの中国とは大違いです。 カシャーンの古い家 カシャーンは夏が非常に暑いので、家には工夫が施されています。クーラーなどない時代、熱気を逃すベンチレーターの役割を果たす風の塔や凹凸を付けた屋根で暑さを凌ぎました。
スルタニエにて集合写真 イラン人がいないのを見計らって、さっと記念写真。やっとイラン人(アリプールを除く)がいない記念写真が撮れました。 イランの紅茶 イランのレストランでは、お茶のサービスは普通ありません。しかしちょっと気の利いた場所でお茶を頼むと、こんなサフラン入りの棒状砂糖を付けて出してくれます。
全線添乗員:二村 忍

日程39日目 2015年5月9日(土)
ザンジャン→タブリーズ

高速に乗り、一気にタブリーズへ。それでもイランの高速には至る所にPがあり、写真ストップを取れるので助かります。モンゴル帝国の後継国のひとつイルハーン国は、タブリーズ、スルタニエに首都を置きました。それが納得できる、遊牧に適した緑の草原が続いていました。

午後はタブリーズの世界遺産バザールとホテルの周辺で買い物。サフラン、紅茶、サフラン入りの砂糖スティク、ピスタッチオ、桑の実、お菓子等々。そろそろ帰国を考えてのおみやげの準備。でも重いスーツケースに頭を悩ませています。

イランの五彩城 中国の奇台で見た五彩城に勝るとも劣らないイランの五彩城。世界には似た景色があるようです。但し中国は入場料が必要、イランは無料という違いがあります。 運転手のスタンプ帳 イランではチェックポイントで、USBと台帳を提出して、警察の判子をもらわなければなりません。交通事故防止のため、運転時間、スピード等をチェックしています。目的は正しいのですが、1日数カ所のチェックがあり、システムや手続きも煩雑。このために、1日累計で1時間程度は時間を取られます。
サハンド山とゴミ 女性のスカーフと長袖の服、禁酒、食事の単調さを除けば、景色、遺跡、人、治安等、どれをとっても観光地・イランには満足されたようです。しかし辛口の評価をすれば、郊外ではゴミの多さが目に付きました。 ドラえもんの携帯 「私の子どもを抱いた写真を取らせて下さい」これは新手の物盗りではありません。実際にそんな依頼があり、お客さんに子どもを抱かせ、お母さんが写真を撮っていました。これがその時のお母さんの写真。ドラえもんが描かれた携帯電話カバー。本当に日本贔屓なんですね。
心臓病に注意 巨大なホットドッグ
昼食はファーストフード。ホットドッグを注文したら、巨大なホットドッグが半分に切られて出てきました。半分でも日本のハンバーガーの3倍の大きさでこってり味。値段はそれで85,000リアル(約340円)。確かにこんなのを食べていたら心臓病になります。店中にこの心臓の絵が張ってありました。
全線添乗員:二村 忍

日程40日目 2015年5月10日(日)
イラン・タブリーズ→トルコ・ワン

晴れ後曇り後雷雨後曇り。目まぐるしく変化した1日でした。イランからトルコへの国境を越えれば、天気と同様に街並み、人の顔など、すべてが劇的に変わります。女性の服装は自由となり、酒も解禁となりました。しかしいつも以上に感激が薄いような気がするのは、イランの旅が予想以上に、魅力的だったからでしょう。

七つの国境越えはすべて終了。後はイスタンブールを目指すだけです。でも一路イスタンブールとはならないのがこの旅。まだまだ旅をゆっくり楽しんでいきます。今年はルートを変えてワン湖に立ち寄ります。

お花畑 今年は花の当たり年。昨年は見られなかったタブリーズ→国境間のお花畑が、今年は延々と続いていました。花に加え、遊牧民と羊の群れ。絶好の被写体でした。 お花畑で記念撮影 お客さんに「記念写真をお願いします」と促されての一枚。お花畑を眺め、お花畑を踏みしめながらの記念撮影など、日本では中々できません。
さらばイラン これが女性陣のイランでの服装。スカーフを被るのは義務ですが、コートは着用しなくても、少し長めのカーディガンやジャケットでよくなりました。国境を越えて、すべてを脱ぎ捨てました。 国境に連なるトラック 国境にはトラックが切れ目なく続きます。その長さは10kmほど。国境越えは丸一日掛かるそうです。それだけ手間を掛けても、利益が生まれる商売があるのでしょう。
イサクパシャ宮殿 国境越えは雨。残念ながらアララット山は裾野しか見えなかったものの、その後のイサクパシャ宮殿の観光では、青空が顔を出してくれました。 峠に残る雪渓 2300mの峠越え。10日ほど前には雪が降り、道路にはこんなに雪渓がせり出していました。春から冬にまた逆戻りです。
全線添乗員:二村 忍

日程41日目 2015年5月11日(月)
ワン

今日もまた荒れ模様。午前のチャウシュテペ城では、強風と小雨の中での観光となりました。しかし午後は一転して快晴。やはり天気には恵まれています。

ワンは、東日本大地震震災と同じ年の10月にマグネチュード7.1、11月にマグネチュード7.2の地震に見舞われ、日本人1人を含む500〜1000人が亡くなりました。地震の発生から4年。地震の被害がなかったかのように、街は復興しています。

アヤメ属の花 以前、植物学者の先生に、白眉と言われたイリス・イベリカ・エッレガンティッシマ。2年ぶりに、その鮮やかな花を見つけました。 ワン城塞にて記念撮影 ワンを首都として栄えたウラルト王国(B.C.9〜6世紀)。2800年前の城壁に登り、真っ青なワン湖を背景に記念写真。
楔形文字で書かれたウラルト語の碑文 博物館で楔形文字を見ることはあっても、間近で、それも手で触れる機会など、そうはありません。イラク、シリアを訪れる事が出来ない今、貴重な遺跡です。 ワン猫 左右の目の色(琥珀色か青色)が異なるワン猫。トルコでもこの地方でしか飼われておらず、海外への持ち出しは禁止されています。
ワン湖 琵琶湖の5.5倍の面積を持つワン湖は、標高1,646mに位置しています。トルコ最大の湖。この時期は、地元の観光客の姿もまばらでひっそりとしていました。 アクダマル教会 西脇さんが撮ったアクダマル教会とシュプハン山。まさに絵はがきのような美しさ。ちょっと山を登った努力が、この写真となりました。
全線添乗員:二村 忍

日程42日目 2015年5月12日(火)
ワン→エルズルム

今日も雨。ここのところ移動中は、決まって雨のようです。フロントガラスも雨に濡れて写真も撮れず、ガイドのフズリさんが話している時以外は、うとうと…。

今、イランではサウジアラビアのイエメン攻撃、トルコでは来月の総選挙のニュースが話題の中心です。各国によって、ニュースの視点が異なります。

草原の道 草原、緑の畑が延々と続きます。アルメニア、ペルシャ、モンゴル、トルコ、ロシアと様々な民族が、ここで興亡を繰り広げてきました。ローマ帝国も例外ではありません。 ユーフラテス川の上流ムラト川 トルコ東部の源流から流れ出た水は、ムラト川とカラスー川となり、二つの川が合流してユーフラテス川になります。エデンの園から流れ出た四本の川のうち二本がチグリス・ユーフラテス川。となれば、今日走った場所はエデンの園?
巨大なピデ ピザはイタリア、ピデは東トルコ。薄いビザは、特にラバッシュと呼ばれています。テーブルに板を載せてカウンターを作り、その上にピデを載せます。この食べ方は初めて。巨大でも薄いので、ペロッと頂きました。 桜 ワンのホテルの前では八重桜、昼食をとったアールの街で桜を見つけました。そういえばトルコはサクランボの産地です。サクランボの親が桜でした。
全線添乗員:二村 忍

日程43日目 2015年5月13日(水)
エルズルム→マチカ

天気は何とか持ち直したものの、スメラ僧院では雨。観光中には、晴れというジンクスもここで途切れてしまいました。イランを越えた喜びはあるものの、どこでも誰でも声を掛けてくるイラン人と違って静かなトルコの人々。トルコの旅では、何となく手持ちぶさたや物足りなさを感じ、気温の低さや旅の終わりの感情が相まって、寂しさを覚えています。

カラスー川 もうひとつのユーフラテス川源流カラスー川。山を越えれば、カスピ海に注ぐアラス川の源流。世界の大河の源流が集まるチベット高原と、どこか似ています。 しぼんだ花 昨年チューリップの花を見た場所を歩き回ったのですが、今年はつぼみさえ見つけられませんでした。2週間ほど前の大雪、ここ数日の寒波で、すでに咲いた花はしぼんでいました。チューリップは懸命な選択をしたようです。
黒海山脈 黒海山脈を越えると、草原から森の風景に変わります。松やレバノン杉の間をプラムやリンゴの白い花、地面を色とりどりの花が覆っていました。空気も少し湿り気を帯びてきました。 スメラ僧院 下界は曇りでも、標高1,400mの僧院は霧の中。43日目にして初めて傘を差しての観光となりました。でも「僧院見学は、晴れより霧の方が幻想的でいい」との声。皆さん前向きです。
全線添乗員:二村 忍

日程44日目 2015年5月14日(木)
マチカ→アマスヤ

昔ボスボラス海峡はなく、黒海は湖でした。天変地異(大洪水?)が発生し、ダーダネルス地峡、ボスボラス地峡を崩し、地中海、マルマラ海、黒海を一続きにしました。ノアの箱船伝説は、その時の様子を物語っていると解釈する学者もいるそうです。それならアララット山に流れ着いたという伝説とも結びつきます。トルコでは、旧約聖書の創世記と結びつく話しが、数多く語られています。

そんな話しを聞きながら、黒海沿いの道を西へ。今日はこれと言った観光地もないので、トイレ休憩だけでなくティータイムも取りながら、ゆっくりアマスヤに向かいました。

ヘーゼルナッツ 世界のへーゼルナッツの70%を生産するトルコ。そんな話しを聞けば、バスを下りて確かめるのが、この旅の流儀です。 アヤソフィア 13世紀コンスタンチノープルから逃れた皇帝が建設したアヤソフィア教会。イスラム化が進むトルコ。数年前モスクに転用され、礼拝もおこなわれるようになり、キリスト教の壁画は幕で隠されたそうです。
黒海沿いの道 黒海沿いは埋め立てられ、新しい道路と共に、空港、サッカー場、モスクなど、様々な施設が埋め立て地に建設されています。 海を見ながらシーフード この旅で初めて見た海(カスピ海は湖)。魚の種類は少ないものの、川魚(鱒は数回食べました)ではない海の魚のフライは格別だったよう。敦煌の和食のお弁当以来のおいしい食事だったとの声も聞こえました。
黒海を背にして記念写真 荒れる海として知られる黒海。今日はべた凪で、静かな海を背にしての記念写真。家族や友人の方々も旅日記を見られていて、色々な声を聞かせてくれます。但し息子・娘さんの声ばかりで、奥さんからの感想は聞きません。やはり「亭主元気で留守がいい」と言う事なのでしょう。 コウノトリ 中央アジア、イランで見かけたコウノトリ。トルコでも見ることが出来ました。日本では一度野生では姿を消しましたが、ユーラシア大陸では普通に生き残っています。見かけでは美しい日本の景色。農薬汚染が進み、見た目ほどは美しくないのが、実情なのでしょう。
全線添乗員:二村 忍

日程45日目 2015年5月15日(金)
アマスヤ

街の歴史は4000年前に遡ります。その後、ヒッタイト、アレキサンダー、セレウコス朝、ローマ、ポント王国、セルジュク朝、イルハーン国、オスマントルコと、街は8回も支配者が変わりました。トルコ人が東から現在のトルコの地・アナトリアに入って来たのはセルジュク朝の1071年。その前の異民族の歴史が3000年。大陸の歴史は複雑です。

やっと青い空が戻ってきました。午前中にハルシュナ城、博物館、ポント王の墓を見学した後は自由行動。あまりに複雑な歴史はちょっと脇に置いて、昼寝、買い物、散髪など、思い思いの時間を過ごしました。

花をかき分けてハルシュナ城見学 今年は冬に雨や雪が多かったせいで、植物が良く育ちました。ハルシュナ城の観光は、花をかき分けての観光となりました。 アマスヤ市街 ハルシュナ城から見下ろすアマスヤ市街。黒海に流れ込むイリス川を挟んで、整然とした街並みが続きます。
女子高生に囲まれる 枠外の男性ふたり(中川さんと石川さん)。「俺等ふたりは入っていないよな〜」との会話。大丈夫です。日本に帰ったら、もう女子高生に囲まれて写真を撮る機会はないでしょうから、ちゃんとふたりも入れるよう頼んでおきました。 三段の遺跡 旧街道の中心地として栄えたアマスヤ。その後、街道は別のルートを通ったために、古い街並みや遺跡がそのまま残されました。この遺跡がすべての歴史を知っています。
アマスヤ夜景 アマスヤ夜景
昼の景色も素晴らしいアマスヤ。夜景も格別です。外人観光客の姿をほとんど見かけない街。まだまだ知られざるトルコの街です。
全線添乗員:二村 忍

日程46日目 2015年5月16日(土)
アマスヤ→アンカラ

ヒッタイトの遺跡を見学してアンカラへ。ゴールのイスタンブールは、もう目の前です。ここまで1人も食事を、1回も観光をパスした方はいません。男性陣は、数人が途中でお腹を壊していたようですが、それでも皆勤でした。パーフェクトのゴールが近づいてきました。

ゴールデンウイーク中、旅日記が更新されなかったので、ご家族が心配されたという話しを聞きました。JTBが休みのため、更新できませんでした。旅日記において、あらかじめ告知をするべきでした。この場を借りてお詫びを申し上げます。

春の道 春の道には、花を求めてたくさんの虫たちがやって来ていました。1時間も走ると、車のフロントガラスは、交通事故死したミツバチたちの残骸で、すぐに汚れてしまいます。自然がいかに豊かであるかの証拠です。 小学生との記念写真 小学生にも日本人はもてます。「HELLO」と言った後に、携帯やカメラを指さし、一緒の記念写真を求められます。野外学習に、携帯電話、I-Pad。日本では許可されないでしょうか。
ライラックとハットシャシュ 紫のライラックが満開。道中ではニセアカシア、マロニエの花が春の訪れを告げていました。トルコはアフガニスタン、チリと並び、花の種類が多い事で知られています。 大神殿の見学 紀元前17〜11世紀に王朝を築いたヒッタイト。紀元前14世紀に、この地に遷都しました。中国では殷の時代にあたりますが、土の文化だった殷は、ほとんど遺構は残していません。石の文化だったヒッタイトは、はっきりとした痕跡を後世に残しました。
全線添乗員:二村 忍

日程47日目 2015年5月17日(日)
アンカラ→イスタンブール

無事にイスタンブールへ到着しました。昨年末より、マスコミで中国・新疆ウイグル自治区での暴動、ISの台頭に関連した事件などが報道されました。そのため、イスラム圏、また近接するこの地域の旅行に不安を持っていた方々も多かったようです。本人はともかく、家族や友人から「本当に行くの?」「大丈夫?」等々の声が寄せられたようです。

しかし聞くと見るとは大違い。それを皆さん、身を持って体験されました。もうすぐ帰国です。その辺の話しは、ゆっくりおみやげ話としてお聞き下さい。

本日イスタンブールは、今年になって最高の天気だったそうです。休日とあって、特にマルマラ海沿いは多くの地元民で賑わっていました。最後まで、天気に恵まれた2015年春のユーラシア大陸横断の旅でした。

アジア〜ヨーロッパへ 喜多郎のシルクロードを聞きながら、第1ボスボラス海峡大橋を渡り、アジア〜ヨーロッパへ。12,000kmを走りきった満足感は、ひとしおだったようです。 アヤソフィア 東ローマ帝国のキリスト教の総本山として建設され、オスマン帝国の時代、モスクに転用されました。現在は博物館となり、キリストとマリアのモザイク壁画がイスラム教の預言者の名前と共存しています。実際の世界も、このように寛容な社会であって欲しいものです。
到着記念写真 1453年メフムド2世がコンスタンチノープルを陥落させたテオドシウスの城壁。城壁の上で、軍楽隊の演奏を聞き、終了後に完走証明書が手渡されました。本当にお疲れ様でした。 街は選挙ムード一色 来月の国会議員選挙を前に、街は選挙ムード一色。政党の旗や横断幕、候補者の顔写真等が、街中に溢れ、世界遺産の街イスタンブールも、政治の街と化していました。
全線添乗員:二村 忍

日程48日目 2015年5月18日(月)
イスタンブール

最終日も晴天のイスタンブール。午前中はトプカプ宮殿、ブルーモスクを巡る普通の団体旅行、午後からは沢木耕太郎の「深夜特急」を味わいたいとのリクエストもあり、昼食はサバサンド、移動はトラム、地下鉄、フェリーと、ひとり旅のような団体旅行を満喫しました。

それにしても日本人観光客の姿は見当たりません。アジア人では、韓国、中国、インドネシアの団体が目立ちました。日本語が話せるグランドバザールの店員からは「日本人懐かしい」と言われる始末。ここ2ヶ月、日本人観光客の姿はばったり途絶えているそうです。

夜は、さよならパーティー。旅の思い出話で盛り上がりました。その話は後日に。

ブルーモスク前で記念撮影 早起きは三文の得。まだ観光客の姿がまばらな早朝。他の観光客が皆無の中で、記念写真を撮ることができました。皆さんの嬉しそうな顔が見えますか? ハーレム これからハーレムの観光と言ったら、まずこの写真を撮ってからとか。ガイドのフズリさんを囲むハーレムの女性達。ハーレムの女性は、こんな屈強な女性達だったのでしょうか?
トラム 市内では観光バスが駐車できる場所が減り、バスを使えばかえって移動に時間が掛かります。それならと言う事で、トラムで旧市街を移動しました。 地下鉄 2013年日本の援助、技術で完成した地下鉄用海底トンネル。日本でもニュースになりました。「何でも見てやろう」精神、好奇心が強い皆様。乗車体験をしたのは、言うまでもありません。
フェリー アジア側からの帰りは地元の人が使用するフェリーでヨーロッパ側へ。料金は3トルコリラ(約150円)。安上がりにも関わらず、短時間(20分)で、お得なクルーズ(?)を楽しむことができました。 サバサンド イスタンブールでは外せないのがサバサンド。今回もリクエストがあったので、8トルコリラ(約400円)の昼食。大好評でした。48日間、ユーラシア大陸を横断してきただけの事はあります。
全線添乗員:二村 忍

日程49日目 2015年5月19日(火)
イスタンブール→成田

2015年春のユーラシア大陸横断もいよいよ最終日。昨晩の完走パーティーでは、全員から「楽しかった」の言葉を頂きました。旅は、参加者の方々が作っていくもので、旅行社、ガイド、添乗員はお手伝いするだけ。ですから旅を楽しくできたのは、「寛容と忍耐」を忘れず、全員のことを考えて行動して下さった参加者ひとりひとりのおかげなのです。「楽しかった」は、そのまま「楽しくして下さってありがとうございました」との言葉で、皆様にお返しさせて頂きます。

最後の晩餐 最後の晩餐
全員で食卓を囲んだのは95回。昨晩が最後の晩餐となりました。トルコの居酒屋風レストランでのシーフードの夕食。この旅では、高級レストランやホテルでの食事より、こんなレストランが皆さんのお好みのようです。いつまでも尽きない、旅の思い出話に花が咲きました。
今日も晴れ

午前中は雨の予報だったにも関わらず、今日も晴れ。本当に最後の最後まで、天気にも恵まれました。誰のおこないが良かったのでしょうか?お互いに顔を見合わせたのですが、それらしい人は見あたらないとは皆さんの意見。でも私は知っています。皆さんが良かったのです。


トルコ航空で帰国へ。搭乗率は約2〜3割程度、そのうえ半分はヨーロッパ等からの乗換客。イスタンブールで日本人観光客を見かけなかった通り、機内はガラガラでした。そのぶん1人で数席も座席を使え、まるで我々のバス旅(1人で2座席使用)のような快適さでした。
帰国へ
全線添乗員:二村 忍

日程50日目 2015年5月20日(水)
成田

昨日の曇り空から一変、快晴の5月10日6時55分。
予定時刻より少し早く、TK050便が成田空港に到着。
50日間の長旅を終えたお客様10名と二村添乗員、全員が無事に帰国しました。

「楽しかった!」「良い旅でした。」なかには「明日から寂しくなるわ。」との感想も。
口では「疲れた!」と言いつつも、皆様お元気そうで安心しました。
旅を終えて、皆様なんだか少年少女に戻ったようです。

そして最後の記念写真!
永田さんは両替中。急ぐ方もいたので待ち切れずに撮影してしまいました。申し訳ありません。
成田に到着すれば、皆様何だかんだ言っても家が恋しいご様子。早々と記念写真を撮って解散となりました。

ご家族・ご友人の皆様をはじめ、この現地レポートをいつも楽しみにしてくださった皆様、最後までご覧いただき、ありがとうございました。
「現地レポートを読んで参加したくなった!」という皆様、是非お気軽に大陸横断デスクまでお問い合わせくださいませ。

今後も当ホームページにて、ご参加者の皆様よりいただいた旅の感想を随時更新してまいりますので、引き続きお楽しみください。

成田空港にて最後の記念撮影! 成田空港にて最後の記念撮影!
別れを惜しみながらの解散・・・ 別れを惜しみながらの解散・・・
JTBロイヤルロード銀座 大陸横断デスク:小河慶子

総集編1 2015年5月25日(月)

 帰国して5日が経ちました。今回はイスタンブールまでの50日間。2013・14年ならローマまでの60日間のため、まだ旅の途中でした。日程が短くなっただけではないでしょうが、あっという間の50日間だったようです。それだけ見て・食べて・話して・笑って・驚いて・感動した旅になったのかと思います。
 日中関係が話題になり、イスラム圏への旅行が不安視されています。しかしテレビや新聞で目にするのは、ほんの一面に過ぎないという気がします。実際に今回一度も不愉快な思いをしたことも、危険を感じることさえ有りませんでした。すべての街で昼夜を問わず、ホテルの周辺を安心して散歩出来たなんて、参加していない方には信じられないことでしょう。そんな発見がこの旅の面白さのひとつなのです。
 2回に亘って、旅の総集編をお送りします。

女の子
T.心に残った観光地、風景は?
例年通り、蘭州郊外の炳霊寺、瓜州の楡林窟、敦煌の莫高窟、サマルカンド、ブハラ、アシガバード、マシャッドのイマームレザー廟、シラーズのペルセポリス等の名前が挙がりました。しかし中国のシルクロード関連の観光地は、昨年「長安−天山回廊の道路網」として33箇所が世界遺産に登録されたため、観光地化、商業化が進み、賛否両論。イメージと違ったという意見もありましたが、良かったという意見が勝っていました。まだ観光客の少ない時期だったことに救われたようです。今年新たに組み入れた五彩城、ワン湖も好評なのでホッとしました。それでも最も心に残ったのは、パンフレットに書かれた観光地ではなく、日程表に書かれていない訪問地、道中の景色だったようです。
中国・天山山脈 キルギス・天山山脈
中国のハミから、カザフスタンのシムケントまで2,500km。12日間、旅を共にしました。
中国・五彩城 イラン・五彩城
世界には、似たような景色があるものです。
チューリップ お花畑
中央アジアのチューリップ、イランのお花畑。すべてが野生の花です。
アシガバード マシャッド
白亜のビルが林立するアシガバードの街の夜景。マシャッドのシーア派の聖地イマームレザー廟コンプレックス。この景色も、深く印象づけられました。
全線添乗員:二村 忍

総集編2 2015年5月29日(金)

 過去のシルクロードの道を辿りながら、本当は見ているのは現実のシルクロード、そして今の日本なのです。また旅日記で書いた事は、私たちが見た・感じた・聞いた事の一部だけ。政治・宗教などの問題は、ガイドを含めた現地の人々に迷惑が掛かるため、旅日記では敢えて触れないようにしています。しかしそんな裏話が最も面白かったとは、お客さんの感想でした。

U.心に残った食事は?
「山芋と木耳の炒め物、敦煌の弁当、パオの麺、イシククル湖のケバブ、羊の首肉の煮込みと骨付きケバブ、黒海のシーフード」。料理名を聞くだけでは、たいした料理には思えません。でもそこに上質の景色やワイルドな雰囲気が加われば極上の料理に仕上がります。
お弁当 玉門関
去年より内容がグレードアップし、おいしいおにぎり弁当でした。味をより一層引き立たせたのは、シルクロードの関所跡・玉門関(小方盤城)だったのは、間違いありません。
ラグメン パオ
新疆滞在中は、何度か手打ちのラグメン(麺)を食べました。でもパオでのラグメンがNO.1に輝いたのは、一生懸命に働いたおばちゃんとの交流があったから。顔が見える料理も味を高めます。
シーフード 黒海
黒海の魚は種類が少なく、味も日本の魚とは比較になりません。しかし海の魚料理が40日ぶりだった事、黒海が晴天に恵まれた事と、好条件が重なって高評価に繋がりました。
羊 ケバブ
今回も羊肉にはお世話になりました。最初の頃は「かわいい羊」も最後には「おいしそうな羊」と、見る目が変わって来ました。
全線添乗員:二村 忍

総集編3 2015年6月21日(日)

 東京アメリカン倶楽部で“ユーラシア大陸横断の旅”に参加の皆さんと再会の昼食会が開かれました。ニルスさん・紀子さんご夫妻の企画です。遠隔地の方を除いて、ほぼ出席。私を含めて8人の参加でした。帰国から1ヶ月。旅は、この期間より、まだ20日間も続いていた事になります。「今更ながら長い旅だった」「楽しい旅だった」と言うのが、皆さんの実感だったようです。 そして再会の昼食にこれだけ多くの方々が参加されたのは、チームワークも良かった事の証明となりました。それぞれ自慢の写真を数点持参しての旅談義。「写真はまだ整理しきれない」「旅で訪れた地域のニュースが気になるようになった」「ユーラシアに関連する歴史・地理・政治等などの本を読みあさっている」等など。旅はまだ終わらずに、帰国後も余韻を残して続いているようでした。

 旅日記に掲載する予定だった「お客様の声」は、石川さんの文章がすべてを網羅して、あれ以上は書けないとの事で、終了となりました。

 最後に私が補足するとすれば、各地で出会った人々、そして彼女、彼らとの交流が、ユーラシアの心象風景として、深く印象づけられたようです。もう日本では「一緒に写真を撮らせて下さい」と声を掛けられることはありません。写真に映らない感動が、そこにはありました。それがユーラシア大陸横断の旅なのです。

久々の記念写真 いつものように、なかなか全員のポーズが決まりませんでした。 日本の経緯度原点 昼食会の後は、西脇さんの案内で、すぐ裏手にあるアフガニスタン大使館と日本の経緯度原点の観光へ。
ワン湖 高台に登って写した写真。辻村さんのベストショットです。 イランにて学生と もちろん彼女たちのスマホにも写真が残っています。
全線添乗員:二村 忍
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