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ライブ 旅のコラム

ライブデスク・プランニングマネージャー山本直幸が旅のコラムをお届けします。

ハプスブルク家のルーツ

ハプスブルク城 ハプスブルク家といえばまずオーストリアがすぐに思い浮かびますが、ヨーロッパを旅すると、いたるところで「ハプスブルク」に出会います。ハプスブルク家は長い歴史の中でオーストリアの他に、現在のベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガル、イタリア、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア等、数多くの国々を直接支配したからです。

ところが意外に知られていないのが、ハプスブルク家のルーツがスイスにあるということです。チューリヒとバーゼルのほぼ中間地点にある町ブルック郊外には、「ハプスブルク」城(写真)が残っています。現在はレストランとして利用されていますが、中世の雰囲気をそのまま伝えてくれる古城です。

11世紀初頭、城ができた当初は、ハプスブルクの語源に当たる「ハビヒツブルク(鷹の城)」(ハビヒトは「大鷹」の意味で、「鷲」のこと)と呼ばれていましたが、12世紀初めにオットー2世が伯爵位を得てハプスブルク伯と名乗りました。それから5代目が名前のように鷲鼻だったといわれる始祖ルドルフです。

田舎の小領主で伯爵という当時では全くありふれた存在だったルドルフが、ハプスブルク家から初めてドイツ王に選ばれ、歴史の檜舞台に登場したのが1273年のことでした。ルドルフは、プラハからアドリア海に達する広大な領地を所有し、当時最も裕福で力のあったボヘミア王オトカル2世を武力で屈服させることで、王としての力量を世に示しました。

1278年、ルドルフは王の威信をかけて兵を挙げ、ウィーン北東のマルヒフェルトでオトカルを破り、その後現在のオーストリアの地を獲得して基礎を築いたのです。そして息子アルブレヒトは、スイスの領地を手放し、オーストリアに拠点を移しました。

その後ハプスブルク家は約100年間、王座から遠ざけられました。それは王を選ぶ権利のあった選帝侯たちの予想に反して、ルドルフがとても有能な人物だったので警戒されたからだと言われています。

15世紀に無能だからという理由で再びハプスブルク家から王に選ばれたフリードリッヒ3世は、ただ敵対する他の誰よりも長生きしたために歴史に名を残すことができたというような人物でしたが、唯一優れていたのは、戦わずして領土を広げるという結婚政策を実行したことでした。

フリードリヒ3世の時に蒔かれた種が、子のマクシミリアン1世の時に実を結び、曾孫のカール5世の時に見事に開花したということでしょう。16世紀に全盛期を迎えたハプスブルク家は、新大陸を含む全世界を制覇することになります。

ヨーロッパの歴史の中で絶えず重要な役割を演じてきたハプスブルク家に興味のある方は、その支配した国々を訪れる前に、まずはルーツのあるスイスに足を運んでみてはいかがでしょうか。少し違ったハプスブルク家の世界が見えてくるかもしれません。

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