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ライブ 旅のコラム

ライブデスク・プランニングマネージャー山本直幸が旅のコラムをお届けします。

一度も使われなかった馬車

黄金の馬車 ドイツの観光ルートで最も有名なロマンチック街道のハイライトの一つ、ノイシュヴァンシュタイン城の建造主ルートヴィヒ2世は、とても謎の多い人物でした。
この写真の黄金の馬車は、婚礼パレードに使うために造らせたものです。ルートヴィヒは、1867年、密かに思いを寄せていたといわれるオーストリア皇帝妃エリザベート(美人の誉れ高き皇妃で、「シシー」の名で親しまれていた)の妹ゾフィーと婚約します。ところが準備がすべて整っていた結婚式の2日前に突然、一方的に婚約を破棄してしまいました。
その理由は謎です。エリザベートへの思いを捨てきれなかったからだという説、同性愛者だったからという説すらありますが、いずれにせよ王の気まぐれに翻弄された人は多かったことでしょう。結局この豪華な黄金の馬車は、一度も使われることはありませんでした。ちなみにこの馬車は、現在、ルートヴィヒが生まれたニュンフェンブルク宮殿の馬車博物館に保存されています。
造るだけ造らせて使わなかった例は、他にもあります。しかも流石に一国の王だけのことはあり、そのスケールが違いました。それは城です。ルートヴィヒは、ノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城の3つの城を建築させましたが、生前に完成したリンダーホーフ城以外は、ほとんど使用しませんでした。ノイシュヴァンシュタイン城には172日、ヘレンキームゼー城にいたってはわずか20数日滞在しただけでした。王はさらに第4の城としてファルケンシュタイン城の建築計画までもちだしたといいますから、お金がいくらあっても足りない状態だったに違いありません。築城には莫大な費用がかかりますから、王にとっては黄金の馬車1台などものの数ではなかったことでしょう。
ニュンフェンブルク宮殿 謎といえば、一番不可解なのは王の死です。統治能力のない狂人同然の扱いをされて退位させられたルートヴィヒは、1886年6月13日、幽閉されたベルク城から散歩に出たまま戻らず、シュタルンベルク湖の30cmほどの浅瀬で、散歩に同行した主治医と共に死体で発見されました。190cmの大男で、泳ぎもできたルートヴィヒが浅瀬で溺死していたこと、また主治医ののどには深い爪跡が残っていたことなど、不可解な点が多く、自殺、他殺、あるいは事故による死なのか、様々な憶測が飛び交いましたが、結局二人の死によってその死因は永遠の謎となってしまいました。
特に作曲家ワーグナーとの関係は良く知られていますが、芸術を愛し擁護したルートヴィヒに謎の多いところことが、今日、魅力の一つとなって、世界中の人々を3つの城へ惹きつけてしまうようです。

ルートヴィヒは本当に純粋なロマンチストで悲劇の王だったのでしょうか、それとも単なる狂人だったのでしょうか・・・実際に3つの城を訪れてみると、その答えが得られるかもしれません。

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