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ライブ 旅のコラム

ライブデスク・プランニングマネージャー山本直幸が旅のコラムをお届けします。

黄金の小屋根

黄金の小屋根  インスブルックはオーストリア、チロル州の州都で、2000年以上も前にローマ人が築いた街です。12世紀になってイン川(ドナウ川の支流)に橋が架けられ、「イン川に架かる橋」という意味でインスブルックと呼ばれるようになりました。14世紀にハプスブルク家の支配下に入り、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世の時代に、街は全盛期を迎えました。スペインやハンガリー王家との婚姻を実現させ、戦わずして領土を拡げる、いわゆる「結婚政策」が実を結び、ハプスブルク家がヨーロッパの覇権を握ることができたのもこの時期です。
 マクシミリアンは、自らの婚姻でも広大な領地と巨万の富を得ています。最初の妻ブルゴーニュ公女マリーは、結婚後5年目に落馬で亡くなり、マクシミリアンはすべての財産を相続しました。その後ブリュッセルからインスブルックに宮廷を移して住み(1490年〜1519年)、1494年には2度目の結婚をします。相手は裕福なミラノ公女マリア・ビアンカ・スフォルツァです。盛大な結婚式が催されましたが、マクシミリアンが結婚記念として建造させたのが、現在、街のシンボルになっている「黄金の小屋根」(写真)です。
 広場での催しを見学するためのこの小さなバルコニーは、10枚のレリーフで飾られていますが、中央左にマクシミリアン、マリア・ビアンカ、最初の妻マリーの像が彫られています。成り上がりの金持ち貴族の娘マリア・ビアンカが黄金の玉を手にしているというのは何か意味ありげにも感じます。また莫大な持参金に目が眩んでしまったといわれるマクシミリアンが、金メッキした2657枚の銅板を使用した派手な小屋根を作らせたというのも、マリア・ビアンカを喜ばせるためだったのかもしれません。
 ちなみにこの夫婦仲は、時と共に冷めたものとなり、マリア・ビアンカはストレスからか、過食に走り、ついには28歳という若さで病死してしまったとのことです。マクシミリアンが彼女の葬儀にも列席しなかったり、実家のスフォルツァ家が、再三フランスによるミラノ侵攻に悩まされていても一向に手を貸さなかったことなどを考えると、相思相愛で幸福な日々を送ったといわれている最初の妻マリーとの結婚も、単なる財産目当ての政略結婚だったのかもしれません。もっともマリーは、マクシミリアンの本性を知る前に(?)亡くなってしまったわけですが。
 バルコニーの下には、オーストリア、ハンガリー、神聖ローマ帝国、ドイツ王国、ブルゴーニュ、ミラノの紋章のレリーフがありますが、いずれもマクシミリアンとの関わりを示すもので、ヨーロッパで強大な勢力を誇っていたことをうかがわせます。
 それからインスブルックには、マクシミリアンの権力の象徴と思えるような立派な霊廟もあります。孫の皇帝フェルディナント1世が、宮廷教会に完成させたものですが、巨大な黒の大理石棺(遺体はヴィナーノイシュタットの墓所にある)を囲むように先祖や縁者の等身大のブロンズ像(1508年〜50年)が28体、立ち並んでいる様は、あたかも偉大な先祖たちがマクシミリアンの葬儀に列席しているようでもあります。
 棺といえば、マクシミリアンは、領内を頻繁に移動していましたが、いつも棺を持ち歩いていたという、奇妙なエピソードを残しています。

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