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ライブ 旅のコラム

ライブデスク・プランニングマネージャー山本直幸が旅のコラムをお届けします。

有名な銅像ですが・・・

ザルツブルク・モーツァルト像  旅をしていてモーツァルトほど多くの銅像、胸像を目にする人物はいないでしょう。それはモーツァルトが生涯の3分の1を旅行し、ヨーロッパ各地に足跡を残していたことにも裏付けられます。数多くある銅像、胸像の中で最も有名で、最も立派な銅像が、ザルツブルクのモーツァルト広場にある銅像(写真)でしょう。何故か建立以来モーツァルトにあまり似ていないのではないかと言われ続けているのですが、街のシンボルとして果たしてきた役割は計り知れなく、ザルツブルクには欠かすことのできない存在です。
 ザルツブルクは、約1000年、大司教が支配し、強大な権力と莫大な富を誇った教会国家でした。最後の大司教となったコロレードは、極端な倹約主義者で、モーツァルトを召使い同然の扱いで冷遇し、ザルツブルクから追い出した大司教として知られていますが、ナポレオンのフランス軍がザルツブルクに侵攻すると、皮肉なことにモーツァルトの住んでいたウィーンへ逃亡してしまいました。主のいなくなったザルツブルクは、簡単にフランス軍に占領され、権力の象徴でもあった難攻不落の名城、ホーエンザルツブルク城も長い歴史の中で初めて陥落してしまいました。
 独立性が失われたザルツブルクは、モーツァルトやミヒャエル・ハイドンが関わった大司教の宮廷楽団も解散し、音楽的にも完全に死んだ街になり、すっかり落ちぶれてしまいました。1825年、ザルツブルクを訪れたシューベルトは、兄に宛てた手紙の中で、訪問前に抱いていた華やいだ街のイメージとは裏腹に、人気もなくひっそり静まり返り、荒廃してしまった街の様子を伝えていますが、事実、華やかさを誇ったレジデンツ宮殿や大邸宅は空になり、賑わいをみせた広場には雑草が生え、以前の面影は完全に消えてしまっていたようです。
ザルツブルク・モーツァルト像  そのようなザルツブルクに息を吹き込んで、活気ある街に再生させたのがモーツァルトの存在なのです。 1835年、モーツァルト没後50年に向けて、街の中心地にモーツァルトの銅像を建てる計画がもちあがりました。寄付が募られ、ようやくモーツァルト像の除幕式を迎えることができたのは、1842年9月4日でした。 モーツァルトの2人の息子が列席し、末息子フランツ・クサファーが自作の祝祭カンタータを指揮して、父モーツァルトの栄誉を讃えました。モーツァルトの妻コンスタンツェは、広場に面した家に住んでいて、完成を心待ちにしていたようですが、除幕式の半年前に亡くなりました。予定通り没後50年の1841年に完成していれば、コンスタンツェも列席できたはずなのですが。
 実はこの時の記念行事としてザルツブルクで初めての音楽祭である「モーツァルト音楽祭」が催されたのです。 次いで1852年には建立10周年記念音楽祭、さらに1856年にはモーツァルト生誕100年記念音楽祭が催されました。 1878年に始まった本格的な音楽祭 Salzburger Musikfest が、今日のいわゆる「ザルツブルク音楽祭」 Salzburger Festspieleの前身です。
 1920年に創始された現在のザルツブルク音楽祭は、23万人を動員する世界最大規模、世界最高水準の音楽祭です。 音楽祭の街として世界中から多くの人が訪れるザルツブルクが、モーツァルトの生誕地であるという変わらぬ自覚と誇りを持ち続けることができるのも、この銅像のおかげと言えるかもしれません。

※ライブデスクは、ザルツブルクを訪れるコースを企画しています。

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