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ライブ 旅のコラム

ライブデスク・プランニングマネージャー山本直幸が旅のコラムをお届けします。

お見合い写真

8歳のマルガリータ  ヨーロッパを制覇した名門ハプスブルク家は、16世紀にその全盛期を築いた神聖ローマ帝国皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)が、息子フィリッペ2世にスペイン王位を、弟フェルディナント1世に帝位を継承させたことにより、スペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家に分かれました。そして両家は血筋を重んじたため、近親結婚を繰り返しました。
 スペイン国王フィリッペ4世の宮廷画家ベラスケスの最高傑作である「ラス・メニーナス(宮廷の官女たち)」にも描かれ、ウィーン美術史美術館の3枚の連作、「薔薇色の服の王女マルガリータ」(3歳)、「白い服の王女マルガリータ」(5歳)、「青い服の王女マルガリータ」(8歳)の肖像画でも有名なマルガリータ・テレジア(1651−1673)も、早い時期にレーオポルト1世(父系では従兄弟、母系では叔父にあたる)に嫁ぐことが決められました。ベラスケスの連作は、今で言えばお見合い写真のようなもので、嫁ぎ先のウィーンへ送られたものです。そしてマルガリータは14歳の時に、生まれ育ったマドリードを発ちました。マルガリータ自身、家族との別れは辛かったに違いありませんが、別れを惜しむ弟に、ウィーンからすぐにお嫁さんを送ってあげるから、と言って慰めたというエピソードが残っています。ちなみに弟のカルロス2世を最後に、1700年、スペイン・ハプスブルク家は断絶してしまいました。
 ウィーンへの旅は、マルガリータが病気になったこともあり、陸路と海路を利用して7ヶ月も費やされました。到着を待ちわびていたレーオポルト1世は、10歳以上も年上で、肖像画を見る限りお世辞にも美男とは言えませんが、マルガリータを優しく迎え、その後も二人は仲睦まじく過ごしたそうです。しかし病弱なマルガリータは、幾度となる出産のため体力が衰え、気管支炎の発作が原因で、22歳の若さで亡くなりました。 マルガリータの棺
 ウィーンのカプチン派教会にあるハプスブルク家の墓所には、マルガリータの遺体も安置されています。「M」のイニシャルが刻まれた棺には、いつも花束が置かれています。「お見合い写真」として描かれた絵が、今では多くの人を惹きつけ、墓所まで足を運ばせているようです。
 余談ですが、マルガリータのウィーン到着後、婚礼の儀式は延々と続けられました。その際、スペイン原産のリピッツァー種の白馬が、遠くスペインから嫁いだ少女を慰めるために初めて音楽に合わせて踊ったといわれています。それが後のスペイン乗馬学校です。現在の美しいバロック様式の乗馬ホールは、皇帝カール6世(マリア・テレジアの父)が、シェーンブルン宮殿も手がけたバロック建築の巨匠フィッシャー・フォン・エルラッハに命じて建てさせたものです。

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