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ベトナムの歴史を知る旅、フランス植民地時代の面影残る街を歩く

JTBホーチミン支店
PHAM VIET HAI

サイゴン大教会

ベトナムの都市、特にホーチミンやハノイでは、ヨーロッパふうの建物が多く残され、ベトナムの街並みをほかのアジアの都市とは少し違う独特に雰囲気にしています。

現在でもさまざまに利用されている、このヨーロッパふうの建物のほとんどは、実はフランスがベトナムを植民地として占領していた時代に建てられたものでした。

南部から始まったフランスの占領

統一会堂(ホーチミン)南ベトナム政権時代の大統領官邸です。

フランスとベトナムとの交流の歴史は長く、16世紀頃にはキリスト教(カトリック)が伝わり、北部沿岸で少しずつ信者が増えていました。

しかし、フランスがベトナムと深く結び付くようになるのは19世紀後半から。中国王朝からの度重なる侵略を受けつつも、なんとか独立王朝を維持していたベトナムですが、中国・清の力が衰えてきた1800年代後半に、「カトリック宣教師団の保護」を名目にフランスがスペインとともに中部ダナンでベトナムへの攻撃を開始し占領します(1858年コーチシナ戦争)。

翌年にはサイゴン(当時、現ホーチミン)を始め南部ベトナムも占領しサイゴンを本拠地とします。1882年には北部のハノイも占領し、混乱を極めていた当時のベトナム王朝・阮(グエン)朝に保護条約を承認させて実質的なフランス植民地支配の時代を迎えます。
なお、フランスはベトナムだけでなくその周辺のカンボジア、ラオスも支配下に置き1887年にはそれらの国も併せた「フランス領インドシナ連邦」が成立しました。

フランス占領過酷な時代

仏領インドシナの時代には、ベトナム国民は厳しい生活を余儀なくされました。不平等な関税制度とともに農地や土地はフランスのものとされ、農民たちは小作農民として重労働を強いられましたし、重税も課せられてフランスによる搾取が強まりました。

学校ではフランス語のカリキュラムが導入され、これまで使っていた漢字は禁止、代わりにアルファベットを使ったベトナム語表記(クォックグー)のみが許されました。さらにフランスはインドシナ大学を設立し、高等教育をすべてフランス語で行うなど、フランス同化政策をベトナム国民に強いたのです。

独立への長い道のり

このような過酷な環境に置かれたため、ベトナムの人々の中には強い排仏意識が生まれ、たびたび反対運動が起こるようになり、そのたびにフランス政権に厳しく弾圧されてしまいます。しかしそれらの運動はやがて独立への強い思いへとつながっていきます。

この運動の中から、日本にも滞在し、その後中国で独立運動組織を作るファン・ボイ・チャウや、後に「独立の父」と呼ばれるようになるホー・チ・ミンが、独立のための活動を強めていきます。1941年にはホー・チ・ミンがベトミン(ベトナム独立同盟)を結成し、独立運動を展開します。

1945年、第二次世界大戦中にベトナム北部に進駐していた日本が無条件降伏すると、ベトミンはハノイで蜂起し八月革命を起こします。そしてその9月2日にハノイで独立宣言をします。
しかしフランスの占領が本当に終わるまでにはさらに9年必要になります(1954年ジュネーブ停戦協定)。しかも停戦後には北緯17度線で南北2つの国に分断されてしまいます。それがやがて、さらに過酷なベトナム戦争へのきっかけとなっていきます。なお、9月2日はベトナムでは独立の日として祝日となっています。

フランスの名残りはあちこちに

中央郵便局。エッフェル設計によるもので、内部のすばらしさに圧倒されます。

ハノイの歴史あるホテル「ソフィテル・レジェンド・メトロポール」

ベンタイン市場(ホーチミン)。フランス占領の歴史があちこちに。

フランス占領時代はベトナムの人々にとって苦しい時代でしたが、それでも街を歩けば、そこここに今でもフランスの名残りを感じることができます。特に占領政府の拠点となったホーチミンとハノイでは、フランス統治政府が多くの建築物を残していて、ベトナムの人々はそれを今でも使用しています。簡単にご紹介しましょう。

<ホーチミン>
「東洋のパリ」と呼ばれ、仏統治時代の面影を色濃く残しています。特にドンコイ通りは「ベトナムのシャンゼリゼ通り」ともいわれるほどです。

サイゴン大教会(聖マリア教会)(Duc Ba Church/Notre Dame Cathedral Saigon)
1880年建設のネオ・ゴシック様式の教会です。外壁のレンガなど必要な建材はすべてフランス本国から運び込まれたそうです。
日曜日には市内の信者が礼拝のために大勢集まります。

オペラハウス(Saigon Opera House)
1898年建設、バロック様式の建物で上部の天使像やエントランス両脇の女神像が印象的です。ベトナム戦争時には南ベトナムの国会議事堂として使用されましたが、現在では再び劇場となり、市民の大切な娯楽の場となっています。

中央郵便局(Buu Dien Thanh Pho)
1863年建設。パリのエッフェル塔を設計したエッフェルが設計しました。パリのオルセー駅(現オルセー美術館)をモデルに造られたとされ、ガラスと鉄骨が大きなアーチを描いている内部は圧巻です!

人民委員会庁舎(Uy Ban Nhan Dan Thanh Pho)
1908年建設。当時は市庁舎として使われていましたが、今は人民委員会庁舎となっています。内部には入れませんが夜はライトアップされます。建物の前には独立の父として今なお敬愛されるホー・チ・ミンの像が。

<ハノイ>
かつてフランス人居住区が設けられたホアンキエム湖周辺に、統治時代の建物がいくつも残されています。

ハノイ大教会(Nha Tho Lon /St.Joseph Cathedral)
ハノイでいちばん古い教会で1886年に建造。双塔に改築されたのは1912年。パリのノートルダム寺院をイメージして設計された、ネオ・ゴシック様式の建物です。内部はおごそかな雰囲気に満ちていてステンドグラス越しの光が大変美しい教会です。

大劇場(Nha Hat Lon)
1901年から10年かけて建てられた劇場です。パリのオペラ座を模した建物が印象的です。現在も演劇やオペラが上演されて、市民に愛されている劇場です。

迎賓館(旧知事公邸)(Nhà Khách Chính Phủ)
1911年建造。公共建築の中ではひときわ大きく美しい建物です。

ホテル「ソフィテル・レジェンド・メトロポール」(Sofitel Legend Metropole Hanoi)
1901年創業の、歴史あるホテルです。創業当時はシンガポールのラッフルズホテルをモデルに、在ハノイの外国人の社交場としての役割を担いました。ベトナム戦争当時は、各国の大使館がこのホテルに身を寄せ各国の代表が集結する、さながら国連施設のような雰囲気だったそうです。もちろん日本の大使館も一時このホテルに入居していたとか。

食文化にも大きく影響

東南アジアの都市の中でもフランス料理のおいしさで定評があります。

フランスによる占領は、もちろん食文化にも大きく影響しました。フランス政府は占領するとただちに本国から一流のシェフたちを招き、本格的なフランス料理をベトナムでも再現しようとしました。ですからベトナムは、東南アジアの中でもフランス料理の美味しさで知られています。

ベトナムの、特に一般の人々に浸透したのはバゲットを始めとするパン類ではないでしょうか。バゲットをタテに開いて中に具材を挟む「バインミー」は、今やベトナムの国民食とも言える軽食です。パンのおいしさはもちろん、いかにもベトナムらしい具材と味付けが新鮮で、日本人の口にもよく合いますので、一度トライしてみては。

パンのほかにもコーヒーや(ベトナムコーヒーという形で進化しました)、プリン(牛乳の代わりに練乳を使って、こちらもベトナムふうに進化)、シュークリームなどフランスの食文化が生活に根付いています。

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