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タイで探すクメール遺跡 タイ東北部イサーンを訪ねる

JTBタイ支店
Ms. KAN Anna

かつて栄華を極めたクメール王朝、アンコールワット。朝日を待つ姿が美しいです。

クメール王朝と聞くと「カンボジアでは?」と思いがちですが、実は中世の時代に、現在アンコールワットが佇む地を中心に、インドシナ半島をほぼ手中に治めた大帝国でした。クメール王朝の初代王は、ジャワからやってきたジャヤーヴァルマン2世です。当時は「真臘(しんろう)」と呼ばれる民族で、分裂して争いが絶えなかった真臘を統一しようと802年に王朝をひらいたのですが、初代王の時代にはなお争いは続いていたようです。

クメール王朝が統一され力をつけてきたのは10世紀初め頃。4代目の王であるヤショーヴァルマン1世が現在のアンコールの地に都を築きました。その頃には王朝は、今のベトナムとタイ東北部を除くインドシナ半島を、マレーシアの近くまで支配する大帝国となりました。しかしクメール王朝は王位を子が継ぐ血統主義ではなく、実力のある者が奪い取る実力主義だったため、王位を巡る争いが絶えませんでした。

クメール王朝が再び力を得たのが、1113年に即位した18代王のスールヤヴァルマン2世の時代。王は国内を治めて再統一し、さらにはチャンパ(ベトナム)などにも遠征、西はタイのチャオプラヤー川にまで迫る大帝国を築きました。そして王はその絶大な権力を誇示するかのように、あの壮大な寺院アンコールワットを建設したのです。

しかしスールヤヴァルマン2世の死後、国内は再び混乱、それに乗じた周辺国が帝国を攻撃、アンコールワットと都は崩壊寸前となります。クメール王朝はこのように長きにわたり分裂と争い繰り返しました。

アンコールワットのモデルと言われる遺跡

500年に渡る隆盛の末に滅亡したクメール王朝ですが、この王朝は各地に数多くの寺院を建造したのも大きな特徴の一つです。それは王に即位すると寺院を建てるものとされていたためで、今多く残されている遺跡は、この寺院の跡なのです。

その一つがタイ東北部、イサーンと呼ばれる地域に点在する遺跡群です。遺跡群観光の拠点となるのがナコンラーチャシーマーという町。標高200m程度のゆるやかな高原にあるため、通称「コラート(タイ語で高原)」と呼ばれています。コラートの周辺には、クメール王朝時代の遺跡がいくつも発掘されています。その代表的なものを紹介しましょう。

パノム・ワン遺跡
町の中心に一番近い遺跡です。ナコンラーチャシーマーから東へ16kmにあり、11世紀頃建てられました。1990年に発掘され2001年に修復工事が終わりました。遺跡でありながら現在も仏教寺院として地元の人々に使われており、中央のお堂の中には数体の仏像が安置されています。

ピマーイ史跡公園
タイを代表するクメール遺跡で、アンコールワットのモデルになった寺院、と考えられています。コラートの町の北東約60kmにあります。いつ、誰が建てたのかについては諸説ありますが、この地方を治めていた一族からクメール王朝の王が誕生し、彼が建てたという説もあります。イサーンに数ある遺跡の中でも珍しいアンコールワット様式の寺院で、11世紀末から12世紀初めに建てられたと考えられています。

かつてはこの地からクメール帝国の首都まで一直線に道が通じていたことから、ピマーイが行政・宗教の中心の一つだったようです。4つの池を持つ広い中庭があるほか、屋根には花びらのような彫刻装飾が何層にもわたって施され、これはタイの、他のクメール寺院ではほとんど見られない独特な様式です。

史跡公園のそばにはピマーイ国立博物館があります。ピマーイから出土したレリーフだけでなく、各地のクメール遺跡にあった主なレリーフや彫像がここに移されて保管、展示されています。多くの遺跡にあるレリーフは、実はレプリカで、本物はここに保管されていますので、時間があったらぜひ見学してみては。

ピマーイ国立博物館(Phimai historical park)
開館時間:9:00am~4:00pm
休館日:月、火曜
アクセス:ナコンラーチャシーマーの北東約60km

懸命な修復の結果、往時をほうふつとさせる姿に。

パノム・ルン史跡公園

ピマーイの遺跡と並び最高峰とされているクメールの石造神殿で、丘の上に建てられています。「パノム・ルン」とはクメール語で大きな丘という意味です。12世紀初頭のもので、ピマーイの後、アンコールワット建築の前に建てられたと考えられています。朝日を向いて建つ中央祠堂の中には、ヒンドゥー教の破壊神「シヴァ」が乗るための聖なる牛像が奉納され、その上部には「踊るシヴァ神」の彫刻が見事です。クメールの遺跡の中では最も保存状態がよい遺跡です。

前方入り口にかかる、彫刻が美しいプラ・ナライ・リンテル(まぐさ)石は、60年代の中頃に盗まれ、その後シカゴの美術館に置かれていましたが、国をあげてのキャンペーンの結果1988年にようやく返却されたそうです。

ムアン・タム遺跡

パノム・ルンの丘のふもとにある遺跡です。11世紀の初頭のものと考えられています。二重の回廊の中心には前列3基、後列2基の祠堂が建てられていましたが、現在は前列中央の祠堂は基部が残るのみとなっています。祠堂や回廊には精緻な彫刻が施され、この時代にすでに高い技術と芸術性を兼ね備えていたことがよくわかります。1998年に修復が終わりましたが長年放置されていたために痛みが激しく、回廊壁は歪み祠堂も傾いています。

それぞれの遺跡は、個人で行くにはローカルバスで付近の町まで行き、そこからタクシーなどをチャーターした方がいいでしょう。地元の人とのやりとりに不安を感じたり、滞在時間が短い方は、ガイドが同行するツアーをお勧めします。あまり知られていないクメール帝国の、その偉大な歴史の解説を聞きながら遺跡を見学すると、見えてくるものや面白さがまったく違ってくるのではないでしょうか。

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