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JTB交流文化賞

第12回受賞作品発表

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交流文化賞 一般体験部門

第9回 JTB交流文化賞 受賞作品

最優秀賞

百年の時を越えて
−朝鮮鉄道職員の子孫韓国へ行く−

中田 朋樹

1910年の韓国併合と相前後して、福井県出身の一組の夫婦が夫の朝鮮鉄道就職のために朝鮮半島に渡った。酒井長太郎、久米というのが彼らの名前である。

1913年の春、長太郎が京釜線水原駅に勤務していた時、妻久米は一人の男の子を産んだ。俊と名付けられたこの男の子は、父の転勤に伴って鉄道沿線の官舎を転々としながら育ち、小学校4年生時の南省峴駅を最後に福井の祖母の元に預けられるまで、人生の最初の10年を朝鮮で過ごした。

それから99年の歳月が流れた。昨年、97歳で亡くなった母方の祖父、酒井俊の三回忌の席で、本家の伯父が私にこんなことを言った。
「来年はおやじの生誕100周年だから、酒井家一族で韓国に記念の旅行をしたらどうかと思っているんだ。君は韓国語ができるだろう。一つ計画を立ててみてくれないか」

私は了承した。大学時代に韓国語を少しかじり、短期留学したのがきっかけで、韓国映画、韓国料理等にすっかり魅了され、その好みは今も続いている。韓国に行けるのなら何でも大歓迎という気持ちだった。

だが、実際に計画を立てる段になって私ははたと困惑した。

飛行機と宿の手配ぐらいはまあ良いが、一族を引率してゆかりの地を訪ねる、というのはなかなかの難事業である。韓国語をかじった程度の私が、現地で皆を困らせないようにすらすらと交渉するなど、とてもできそうにない。

ここはやはり助力を仰ぐしかないと考えた私は、短期留学当時に知り合い、一番親しくしている友人の安貞勉君に相談を持ちかけてみた。

ありがたいことに彼は、二つ返事で現地ガイドの役を買って出てくれた。
「で、どこへ行きたいんだ?」
と問う彼に、私は曾祖父の一家が辿った足跡を説明し、ソウル近郊と水原と、それから祖父が写真と共に印象を書き残している南省峴にも、できれば行ってみたいと答えた。
「南省峴?」

彼は電話越しに驚きの声を上げた。

「なんでそんなマイナーな場所を? それは慶尚道の清道郡にある駅だ。僕の彼女の生まれ故郷のすぐそばだよ」
「曾祖父がそこの駅長をしてたらしい。祖父は清道の小学校に通ってたんだって。写真と書いたものがあるから、郵便で送るよ」
 私はそう答えた。

その後の展開は、全く思いがけないものであった。

郵便で資料を送ってすぐに、それを見た彼女とその父上が、日韓の不思議な縁に感激して、是非とも家族で案内したいと言っているという報告が来た。

特に父上の金さんは非常に興味を持ったらしく、地域のお年寄りに連絡して日本統治時代の様子を尋ねたり、小学校に内地人の名簿が残っていないか探しに行ったりと、精力的に調査を開始してくれている様子である。

2013年に入る頃には、金さん一家がマイクロバスをチャーターして我々を東大邱駅まで迎えに来て、1日祖父ゆかりの地を案内してくれるという所まで話が進んでいた。

実を言うとこの成り行きに、私は多少戸惑っていた。ちょうど前年の8月以降、竹島と歴史問題をめぐって日韓相互の国民感情が悪化の一途を辿っていたからだ。
「支配者だった日本人の子孫が当時を追憶する旅行をすることに対して、彼女のお父さんは嫌な感情を持ったりしないだろうか。年配の方は反日感情も強いと聞くけれど」

私は不安になって安君にそう尋ねた。

「僕も若干心配したけど、どうも全然そういう感情はないみたいだ。60代の人は日本統治時代を直接は知らないし、人によるんだろうね」

というのが彼の答えだった。

2013年3月24日、亡き祖父の100回目の誕生日のちょうど3日後に、私達はソウル金浦空港に降り立った。2泊3日の「酒井俊生誕百周年記念旅行」のはじまりである。参加者は伯父、伯母と従妹、私の両親と妹、そして私と妻の総勢八名だった。

この日は安君の案内で、午後いっぱいを使って祖父の足跡を巡った。漢江の南岸にある永登浦小学校の跡地、水原近くの西湖。いずれも祖父が幼い頃の想い出として書き残した場所である。特に西湖は、遠足で行ってお弁当を食べたことが忘れられないと書いているので、私達もしばし湖畔に佇み、記念写真を撮った。

夜は名物の水原カルビの店で、祖父の生誕100周年を記念する宴を開いた。安君が個室を予約しておいてくれたので、祖父の写真を飾り、卓上に乗り切らない程の料理を並べての大宴会となった。

席上、祖父は朝鮮を懐かしんではいたけれど、朝鮮人は嫌っていたという話題が出た。日本語が少しは聞きとれる安君もこの話題に興味を示したので、私は話の内容を韓国語に訳しながら、二つの言語で自分の考えも述べた。

まだ小さかった祖父は、日本による朝鮮統治の最前線に居て、朝鮮人による反発を肌で感じていただろう。実際、朝鮮の子供達に捕まって殴られたという話を、祖父は生前よくしていた。幼い頃のこうした体験が人間の根本的な好悪を決めてしまうのはある意味仕方のないことだろう。けれども既に100年の時が流れた。今こうして孫と韓国人の親友が自分の生まれ故郷で談笑しているのを見たら、きっと考えは変わるのではないか。わだかまりを解き、この関係を善しとしてくれるのではないか。

私は大略このようなことを喋った。伯父と母も大体同意してくれ、それから話題はもっぱら卓上の豪華な食べ物のことに移って行った。

2日目、3月25日は早起きしてソウル駅で安君と落ち合い、8時発のKTX(韓国高速鉄道)に乗った。10歳の祖父が朝鮮での最後の1年を過ごした、清道日帰り旅行のはじまりである。

列車は定刻に出発し、ソウル近郊を過ぎて専用線に入ると時速300キロで走り始めた。その初期に曾祖父が深く関わったこの国の鉄道の今……。私はソウル駅で買った海苔巻きを食べる手をしばし止めて、画面の速度表示に見入った。

東大邱に到着したのは10時である。ホームに降りると、ソウルとは全く違う、温暖で親しみやすい空気が私達を包んだ。
「随分温かいね」

と言い合いながら私達は階段を上り、真新しい橋上の駅舎に入った。

かっちりした黒いコートに身を包んだ大柄な女性と、青いジャンパーを着た初老の男性が、満面の笑みを浮かべて近付いて来る。金さん父娘であった。

友達の彼女とその父上に対して、どんな風に喋りかければよいのかと、僕は車内から気を揉んでいたが、そんな心配は全く無用だった。父、金さんは最初から親しみのこもった慶尚道訛りで、今日行く所やこれまでの調査の結果を、息もつかずに私に語り出したのである。

駅を出た所には黄色いマイクロバスが停まっていた。私達が近付くと、中から彼女の母上と妹が出て来て、さあさあと私達をバスに押し込んだ。車中には飲み物やお菓子が山ほど用意されていて、皆感嘆の声を上げる。

運転手氏を含めて総勢14人という大所帯になった私達は、早速車で20分程の清道に向けて出発した。慶尚道には一足早く春が来ており、七分咲きの桜と満開の連翹が陽の光を受けてどこまでも連なっていた。

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