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パラオでみつけたニッポン
野口 翠
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  日本から南へ3,000キロの海上に浮かぶ、パラオ共和国。サンゴ礁の発達した海は、ダイバーの聖地とされ、世界中から旅行者が訪れる。そんな常夏の楽園に、植生と資源利用の調査のため、2人の学生が乗り込んだ。あまり観光客が訪れることのない、熱帯雨林に囲まれた集落で、思いがけず体感したたくさんの「ニッポン」を紹介したい。

  パラオに着いてまず驚いたのは、いたるところに日本語、日本文化が根付いていることだった。例えば、広場や道端に設けられた「ヤスンバ(休み場)」と呼ばれる日除け小屋では、奥様たちが井戸端会議をしたり、昼寝をしたりしている。海上交通が主流だった時代、村の出入り口として重要な意味をもった船着き場は、「ハトバ(波止場)」と呼ばれている。他にも、「ダイジョーブ」「ベントー」等という言葉が日常的に使われている。

  こうした状況は、パラオの辿ってきた歴史に由来する。パラオは、1914年から44年まで、日本の統治下におかれた。その際、日本語教育が行われたため、今でも「ニッポン」が残っているのだ。ピーク時には2万人を超す日本人が入植し、ボーキサイトの採掘や、パイナップルの栽培に従事したとされる。注意してみると、街のあちこちに日本の痕跡が見つかった。有名なガラスマオの滝の近くには、鉱石の運搬に用いられたトロッコとそのレール、舗装道路から離れた凸凹道の脇には、缶詰製造機と思しき工業機械が転がっている。集落の脇で見つけた「ギンザドーリ」は、日本を訪れた酋長が、日本の銀座通りに倣って造ったものだったし、旧首都周辺には、「消火栓」と書かれた鉄柱や、神社の参道を示す石灯籠が見られた。その他にも、砲口を海へ向けたまま放置されている錆びた戦車や、美しい海の底に沈む、翼に日の丸の描かれた飛行機など、戦争を想起させる痕跡も見られた。

  このような目に見えるものだけでなく、精神的な面での痕跡も見つかった。その一つが「シュウカン」という概念である。冠婚葬祭にまつわる慣習など、習わしとして受け継がれてきた不文律を、日本統治時代の名残でそう呼ぶのだ。シュウカンの中でもユニークなのが、「キンロウホウシ」である。これは、日本統治下において、無償労働である勤労奉仕が推奨されたことに由来し、今でも、地域で行う共同作業をそう呼んでいる。
  ある日、アバイ修復のキンロウホウシに立ち合うことができた。アバイとは、男性酋長が村の決まり事を話合う集会所で、集落コミュニティの象徴であった。昔は各村に複数存在したが、今ではほとんど残っていない。唯一残っているアイライ集落のアバイを訪れると、村の男性達が10人弱集まっていた。聞けば、アバイの屋根の葺き換えを行うとのこと。材料を取りに行くというので、見学がてらついていくことにした。車道沿いの家屋のすぐ背後に迫るマングローブ林に分け入ると、男性達は、3mはあるニッパヤシの葉をバサバサと切り倒していく。私たちも、葉を束ねる作業を手伝う。瞬く間にドラム缶3個分ほどの葉束ができた。これを乾燥させ、木の繊維で作ったロープで束ねて、屋根を葺いていくという。そのプロセスは、さながら日本の白川郷の茅葺を思わせた。長老のススムさんによると、前回の改修は20数年前で、今では伝統的な建築技術を知る者はごくわずかであるとのことだった。そんな貴重な建築物であるアバイの修復作業に少しでも携われたことは、幸運だった。カヌーハウスや水路といった村の公共物のメンテナンスは、元来、村の青年達のキンロウホウシで担われていたという。しかし、“最近の若い者は報酬がなければ働かなくなった”と嘆くススムさんの姿は、世界で共通してみられる時代の変容を物語っていた。

  女性陣も負けてはいない。女性は主に、清掃活動のキンロウホウシに従事する。日曜日の早朝、ハトバに20名程の女性と子供が集まった。一緒にボートに乗り込むと、10分足らずで、シュノーケリングスポットであるロックアイランドの一角に到着。近くには防空壕があり、観光資源として見せられるように、樹木を刈って、広場を作る計画だそうだ。無人島のはずだったが、上陸すると既に何人かの女性がいた。前日から泊まり込んで、花札をしていたという。どうやら、毎週のキンロウホウシは、女性たちのにわかな楽しみであるようだ。荷物を下ろすと、早速作業にとりかかる。「ドッコイショー、ドッコイショー」という掛け声とともに、カマを振り上げ、覆いかぶさる蔦を切り開いていく様は見事であった。そんな中、地べたに座り込んで、切り落とされたパンダナスの葉で籠を編む女性がいた。泊まり組の一人、ヒロコさんである。日本語がとてもお上手で、老人施設で日本語の歌や踊りを教えているとのことだった。やがて、ヒロコさんのかけ声で、歌の大合唱が始まる。よくよく聞いてみると、なんと日本語。「みなとを 出るとき 涙があふれた…」「お湯の中には…あっつい、あっつ〜いな」等々、歌詞は断片的にしかわからなかったが、確かに日本語の歌である。意味も大体理解している、と自信あり気な奥様方だった。伐採した木々を豪快に燃やすと、作業は一段落。釣った魚をバーベキューにして、たっぷりの昼食をとったあとは、ぺちゃくちゃおしゃべりをして大笑い。その後は再び、横一列に並び、海に向かって大合唱。日本では、地域の掃除など、皆いやいや参加するものだが、こんなに愉快な活動ならば、自然と足が向き、コミュニティ内に固い絆が築かれていくのだろう。

  もう一つ特筆すべきは、相互扶助のシュウカンである。ある日、出かけようと家から出た瞬間、庭で魚を焼いている隣の家の奥様と遭遇した。軽く会釈して車に乗り込もうとすると、何の前触れもなく、焼けたばかりの魚を差し出してくる。突然のことに面食らったが、ありがたく頂戴し、夕飯のおかずにした。パラオでは、親戚が集まるときはもちろん、普段から食料を誰とでも分け合うということが自然に行われる。集落をまわりながら調査をしていると、ココナッツ、パパイヤ、マンゴー、ランブータン、マンゴスチン等の南国の果実を、お腹いっぱいになるほど恵んでくれる。他にも、伝統食であるタロイモやタピオカのふかし芋、「コロッケ」と呼ばれるさつま揚げ、「ウナギ」と呼ばれるウツボ等、たくさんの珍しい食べものをいただいた。時には調理に手こずることもあったが、人々の自然な優しさに、何度も心温まる思いがした。
  魚を戴いて以来、お隣さんとは顔見知りになった。私たちが日本の学生であることがわかると、「オイデオイデ」と誘ってくる。植木鉢の並ぶ小屋へ招き入れられると、そこにはアンティーク調の美しいガラス瓶が何十と並んでいた。奥様が小さな頃、住んでいた村の畑で見つけたものだそうで、日本製だというのだ。よくよくみてみると、「消毒液」「クレオソート丸」など、戦争中に使われた消毒薬やお酒の瓶であることが判明した。またも、思わぬところで「ニッポン」を発見した。


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